笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

切るということ

「切り方」なんだよ。
要は、切り方なんだ。
手を伸ばすこと、手に入れること、胸に抱えることまでは、誰だってできる。
たとえばギターを上手に弾きたい、バイクにうまく乗りたい、きれいな女を抱きたい。そんな、欲望というか、強烈な思いが最初の原動力だ。それから、ギターを弾けるようになる。バイクを手に入れる。もてるようになる。
ここまでは、割合いけるんだ。
問題はさ、そのあと、なんだよ。
だってさ、誰もがギター弾きになれるわけじゃないし、誰もが単車で飯を食えるわけじゃない。女で喰うなんてなら、なおさらだ。結局、それとはかけ離れた仕事をして、対価(代価)を得て、その範囲で飯を食い、好きなものを手に入れる。
本当は、もっと違った道があったんじゃないか? なんて愚にもつかない「もしも」を想像して、なんだか損したような気分のまま、漠然と単調な生活を重ねる。
そして時々、このままじゃいけないんじゃないか? なんて思ったりする。
いけないなら、どうする?
自分は何をしたい? どこに行きたい? って自問する局面は、誰にだって必ずくる。
そのとき、どうするか。
ぬるま湯から出て、極寒の冷水に飛び込むか、灼熱の熱湯に飛び込むか。
どちらにしても、必ず求められる判断がある。
何を「切れる」のか? だ。
そして人生で一番重要なのは、多分、これなんだよ。
言い換えるなら、「選ぶ」ってこと。
選んで、切る。勇気を持って、切る。
人間、欲張りだから、なんにでも手を出したいと思うのは当然だ。苦労して手に入れたものなら、手放したくないと思うのは、なお当然だ。ハタから見たら「何で?」って思うようなものが、どうしても手放せないって覚え、あるだろう?
だけど、時間も、空間も、すべては有限。
だとしたら、結局「切る」ことから始まるんだよ。
そして「切る基準」を決めることが、最初の「選ぶ」作業なんだ。
論理的に、合理的に、ってのもあるだろう。
感情的に、感性で、ってのももちろん否定できない。
切り方、切る基準ってのは、それこそ人それぞれだけれども、選択し、切っていかなければ、やがては手の中からあふれ出してしまう。そのときあふれ出すものが、必要のないものだとは限らないから、またやっかいだ。
だから、自分の器を見定め、それに抱えられるだけ抱える。
そして、いろんなものが器から勝手にあふれ出してしまう前に、自ら選んで切る。
たぶん、こんな繰り返しで、みんな生きていくんだろう。
 
なんてえらそうに話しながら、俺は切ることがひどく苦手だ。
なんでもかんでも抱え込んでしまうその姿は、俺のお袋がデパートの包装紙を溜め込んでしまうみたいに、ダチのマルが動かない単車を溜め込んでしまうみたいに、ハタからみたら何で?って思えるだろう。
それでも俺は、切ることがひどく苦手だ。
今は幸いにして、器を出るほどのものは得ていない。
だがやがて、選択を迫られるときは必ず来るだろう。
そのときに、きちんと切れるために。
俺は俺という人間の骨子を、もっと固めなければならない。
俺自身というものを、もっと真摯に見つめなければならない。
選択を迫られて、めんどくさくなり、すべてを放棄してしまう前に。
 
 
 
 
 
つーわけで、溜め込んだ動画を、少し整理することにしました。
焼くのがめんどーなので、涙を呑んで消そうと思います。
「めんどー」言ってる段階で、涙を呑んでないわけだけど。