笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

現実と観念

基本的にほとんどの人は、現実世界で生きてます。
ところが、この現実世界と対峙したときの姿勢と言うか、現実の処理の仕方が人によって分かれるんですね。現実に対峙したとき、そのまま現実のみに関心を持つ人と、そこから派生する観念の方に関心を持つ人がいるような気がするのです。
いや、誰しも両方の要素を持ちながら、『その時々で、どちらかにバイアス(偏り)がかかってる』と言うのがより正確でしょうか。
 
たとえば美しい景色に対峙したとき、その景色に関心を持つ場合と、景色から連想や空想が始まる場合があります。
景色そのものを愛でる場合、現実側にバイアスがかかっており、映像寄りの思考特性になる。景色をきっかけに連想や空想へ入り込む場合は、観念がわにバイアスがかかってて、文章寄りの思考特性なる。と言ったところでしょうか。
 
綺麗な景色を見たとき。
美しいと感じながら『この景色をあの人と見たい』『この景色を見ながら暮らしたい』、そんな風に思う時もあれば、あくまでその景色だけに関心を持ち、時には数時間もその景色を眺め、自分の中に取り込んで、美しさそのものを愛でる時もある。
観念寄りの時は自分があって景色があるのですが、現実寄りの時は景色と自分が等価なんだと言うとわかりやすいですかね。
必ずどちらかと言うことではなく、その時々で、人の中のバイアスは変化するでしょうが、おおむね、『比較的どちらか寄り』ってのは言えそうです。
 
ちなみに俺の場合、『俺が俺が』と言う自己中心的な性格上、極端に観念寄りの思考でしたが、ここ数年、だいぶん変わってきました。
今まで『おぉ、すげぇ景色だなぁ。ここに住んだら、毎日こんな景色を見られるのかぁ。いいなぁ』だったものが、『おぉ、すげぇ景色だ……』と、景色そのものに見惚れるようになったのです。
まぁ、その前段階として、景色を見ても何も感じない、もっと言えば景色を見てないって時代も、ずいぶん長かったんですが。
 
てなわけで、来月末あたりにちょっと『景色を愛でるツーリング』に行こうと思ってます。ぶっ飛ばして走るだけの十年前なら考えられなかったコトですが、それを楽しみに出来る今の自分が結構好きです。
や、もちろん速く走るのも、大好きですけどね。