笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

小さな逆境

順風満帆の時は誰だって君子になれる。
余裕がある時なら、泰然自若と構えることも誰かに優しくすることも、それほど難しいことじゃない。身も蓋もない言い方をすれば、他人の痛みは耐えられるのだ。
もっとも、それがすなわち心無いことだ、悪いことだと、単純には言えない。
岡目八目と言うように、我が身に痛みを感じていないからこそ冷静な判断ができて、その苦境を救えることもあるだろう。結果的にその方が、同情したり心配するよりも、痛みを感じている者のためになる場合もある。
おぼれる者は助けを求めているのであって、一緒におぼれて欲しいわけじゃないのだから。
 
ところがおもしろいことに、それが他人同士の話であれば事態の客観的な観察でしかないけれど、自分が当事者となると、とたんに論理的に割り切ることが難しくなる。
今の苦境から逃れたい、事態を打開したいと思うあまり、周りどころか自分自身も見えなくなってしまう。おぼれているんだと言う事実に甘えて、自分を際限なく許してしまうのだ。
「こんなに大変なのだから仕方ない」
「これほどの危機なのだから、緊急措置としてナニゴトも許される」
言葉として明確に思ってなくても、そういう論法で自分を哀れんだり、逆境にあることを錦の御旗に、自己憐憫の甘ったるい蜜の中に身を浸してしまうことがある。
だが、きれいごとに聞こえるのを承知の上であえて言わせてもらえば、人間の価値ってのは逆境でこそ、その真価を問われるのだと思う。
 
俺は普段、大言を吐いたり、露悪的な言動をすることがある。
それ自体はまぁ、精神的にガキだと言うこともあるだろうが、自分自身それほど嫌いではない。別にアウトローを気取るわけではないし、「俺は他人とは違う」的な意識を持ってるわけでもないが、俺が奇矯を好む派手好きなのは確かだ。
これは善悪というより単に好みの問題だと思う。『その奇矯好きや派手好きなことでこうむる一切の不具合を他人のせいにしないならば』の条件付きで、誰に口を挟まれるスジの話でもない。
もちろん、そういうスタンスで居るのならば、貫かなければ話にならない。
逆境に陥ったとたんに身を翻したりせず、キビしい状況でも己のスタンスを貫き通さなければ、大言を吐く資格もなければ、吐く言葉に価値もないと言うことは、充分に理解しているつもりだ。
大言を吐いた以上、それに対しての責任は負うべきだし、露悪的な言動へのリアクションに対して、官憲は極端だとしても不快を感じた他人からの非難は甘受すべきだ。
言うだけ言って、やるだけやって、責任を負うことを恐れるというのは、少なくとも俺の美意識から見れば、あまり格好のいいものではない。
 
逆境に立ち向かうというのは単純にカッコいい。
だから俺はそうありたいと思う。そして同時に、その逆境というのは、なにもはっきりと目視できる敵であったり、誰にでも感じられる向かい風ばかりではない、という事も忘れずにいたいと思う。
ただ生きて行くだけで日々、なにかしら意にそぐわない状況に直面することは多い。ムカっとしたり落ち込んだりすることも、生きていれば無縁ではないだろう。
そのちいさな全てが逆境であり、それらを冷静に観察し、判断し、処理することが立ち向かうということなんだと思う。あるいはそれらの小さな逆境を、熱い魂とちょっとの強がりで笑い飛ばしながら乗り越えることが、立ち向かうということなんだろう。
 
さて、それじゃ明日も、立ち向かおうか。