笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

モーターブルー(4) <最終話>

 
若き日の冒険を思い出したのだろうか。
西茨城は、なつかしむように目を細めて沈黙している。
しかし結局、自身の過去には触れることなく、別の話を始めた。
 
「外郭地域は、皇都とは別の世界です」
「それは、そうだろう。しかし……」
「あそこは、天幕(ドーム)で囲まれた皇都とは、生態系から違います」
「生態系から? そんな……」
 
イズモは外郭世界を、遅れた野蛮な地域としか、認識していなかった。
 
「生(き)のままの空気、野生の動植物、人間を簡単に殺す厳しい自然」
「それは……確かに、俺の知らない世界だ」
発電所はありますが、送電されるのは都市部だけです」
「都市部以外の人間は、どうやって暮らすのだ?」
 
電気のない世界など、イズモにとっては想像の外である。
 
「ほとんど電気を使わず、必要な時は自家発電機を使います」
「自家発電機? ああ、高効率太陽光発電か」
「いえ。機械式の発電機を、『液燃』と呼ばれる燃料で動かすのです」
「機械式の発電機? 液燃? それはいったい……」
 
初めて聞く単語に、イズモは首をかしげる
 
「液燃というのは、可燃性の液体です」
「可燃性の液体? アルコールではなく?」
 
アルコール燃料をも取り扱う、三輪の人間らしい反応だ。
 
「ある種の藻類が光合成のとき排出する、基油という油を精製します」 
「藻(も)が作る植物油……それで強い動力が得られるのか?」
 
イズモたち皇都の人間にとって、油とは食用油のことである。
 
「液燃は、アルコールより強力な爆発をします」
「その爆発の圧力を使って、圧電素子で発電するとか?」
「もっと機械的な構造で、圧力を回転運動にして取り出します」
 
皇都に、単純な機械式の発電は存在しない。
建物の床に設置された、超効率圧電素子による一種の振動発電。
それがかろうじて、ドーム内の発電機能だろうか。
 
天幕(ドーム)外壁に配された、高効率太陽光発電パネル。
外部に置かれた風力、水力、火力発電施設からの送電。
それらによって、皇都の電気はまかなわれているのである。
 
西茨城のそんな説明を、イズモは熱心に聞く。
 
特に、内燃機関の構造と、それによる発電には興味を引かれた。
西茨城は詳細を語れるほど詳しくはなかったので、概念だけ伝える。
 
「……と言うような方法で、液燃の爆発を回転運動に変え、発電します」
「ふうん、エネルギーロスが多そうだが、必要な力は得られるのか?」
「ええ充分に。ですが空気を汚すので、皇都では使用を禁止されました」
 
そんな風に外郭地域の話をしばらくした後、西茨城は表情を厳しくした。
 
「若さま、ここからが、最も大切な話になります」
「先ほど言った、俺の常識や世界観を覆してしまう、と言う話だな?」
 
イズモを見つめてゆっくりうなずいた西茨城は。
真剣な表情で、驚くべきことを語り始めた。
 
「かつて、この星は死に掛けていました。自然破壊と人口過剰です」
「は?」
「そこで支配階級の人々は、この星を捨て、別の星へ移り住みます」
「な……」
「しかし、大半の者は残されました。宇宙船には限りがあったので」
 
いきなり妙な話を始めた西茨城を、イズモは驚いて見つめる。
 
「残った人々は生きてゆくのに精一杯で、文明はそこで停まりました」
「何を言っている、西茨城?」
「彼らは代を重ねるうちに、ずっと昔の生活へ戻っていったのです」
 
星を捨てた人類と、残された人類。
飛び出してさらに進んだ者と、残されて歩みを止めた者。
あまりに荒唐無稽な話だったので、イズモは言葉を失ってしまう。
 
「一方、星を出た人々は、代を重ねながら宇宙を飛びます」
「…………」
「どこかへたどり着いた者たちもいましたが、そうでない場合もありました」
「ちょっと待ってくれ、西茨城」
 
代を重ねる長大な宇宙旅行の中で、乗員による反乱がおきたり。
数世代を重ねて飛んだ者達が、また数世代かけて戻ってきたり。
 
そして代替わりの間にも科学技術は進み。
それ以上に、乗員の意識、考え方、世界観が激変した。
 
自分の過酷な運命を受け入れるため、「試練には理由がある」と考える。
 
そしてそれは、ゆがんだ選民意識へと変化していった。
選ばれた民だから、あるいはもっと尊大に、自分たちが神だから。
だからこそ、このように過酷な試練を耐え抜かなければならないのだ。
 
その先には、耐えただけの見返り、すばらしい理想の世界が待っている。
 
そうとでも考えなければ、耐えられなかったのだ。
宇宙で生まれ、ただ子孫を残し、死んでゆくことに。
 
そして、彼らは帰ってきた。
 
彼らの母星へ。
 
 
 
「そのころには、この星の自然も回復し、文明の崩壊も止まっていました」
 
西茨城は、イズモの当惑にはかまわず、淡々と話を進める。
 
「人類が激減したことによる、星の自浄作用と言っていいでしょう」
「…………」
「先ほど言った藻類油(そうるいゆ)、つまり液燃があったのも幸いでした」
「液燃……そして内燃機関か……」
「おかげで、それまで使っていた機械を、そのまま使えたのです」
 
イズモには、御伽噺にしか聞こえない。
 
「そこへ、はるかに進んだ文明を持つ者たちが、戻ってきました」
「星を捨てて行った者達……正確には、その子孫か」
「彼らの侵入に、残された人々の末裔は、もちろん抵抗しました」
「…………」
「しかし、自然と共に暮らしていた人々とは、科学力が違います」
 
数百年の科学力の差、などと言われても、イズモには想像がつかない。
だが、戦えば勝負にならないことくらいはわかる。
 
「数も激減していた原住の人々は、あっという間に降伏させられました」
「…………」
「戻ってきた連中は、自分たちを神と呼び、人々を隷属化しました」
 
息を吸い込んだ家令は、ついにその言葉を放った。
 
「それが皇家の始まり。神話にある天孫降臨の真実です」
 
イズモはそのまま言葉を失う。
米酒を入れたグラスから、結露したしずくが流れ落ちた。
そしてイズモの背中も、それに負けぬほど、びっしりと汗をかいている。
 
「外郭世界に出るまで、こんなことは全く知りませんでした」
「そ、それは……本当なのか?」
「証拠の多さから見て、間違いないでしょう」
「証拠? 証拠があるのか?」
 
イズモはまだ、信じられないでいる。
 
「あちら……外郭世界には、そういった昔の資料がたくさん残っています」
 
西茨城は、平然と答えた。
 
「皇家としては、そんな歴史はすべて焼き捨てたいところでしょうが」
「そうだ。そんな証拠があるなら、なぜ処分しない?」
「如何(いかん)せん量が膨大なうえ、皇家は少数ですからね」
「ばかな……それでは……皇家は神族ではなく、ただの人間だと?」
 
皇家という、人間以上の存在による統治。
華家、士家、そして衆民と言う身分制度
西茨城の話は、それらすべての否定である。
 
「だから自分たちをベールで包み、神格化しなくてはならないのです」
「ただの人間だとわかったら、人々が反旗を翻すから……か」
「彼らは、高度な科学技術を、神の力として振るいました」
「百年以上もの開きがあれば、それも可能なのだろうが……」
 
イズモはひたすら、話を消化するのに精一杯だった。
 
すすんだ科学技術の恩恵で人々を手なづけ、彼らに皇都を作らせる。
そして、手なづけられた人間の一部に、特権を与えて人々を支配させる。
特権を与えられた者たちは、やがて貴族階級となった。
 
それが華家、あるいは士家である。
 
西茨城の話を聞いているうちに。
イズモの常識が、柱を失って崩れ落ちてゆく。
彼は、自らの女王を失った、その同じ日に。
 
世界そのものを失ったのだった。
 
 
 
たっぷり10分は黙り込んだあと、ようやく。
 
ようやくイズモは、西茨城の言葉を受け入れた。
西茨城の人となりを考えれば、受け入れざるを得なかった。
しかし、それでもあまりの衝撃に、言葉を呑むしかない。
 
「私が、これをお話しましたのは……」
 
混乱するイズモを優しく見つめながら、家令が言葉を発した。
 
「若さまはおそらく、士家の客分ではいられない、と思うからです」
「……え?」
「若さまは、いずれ辺境の話を聞いて、興味をもたれるでしょう」
「……そう……かもしれない」
「ですが、生半可な気持ちで訪れれば、命を落としかねません」
 
だったら今すべてを話して、きちんとした知識と心構えを持ってほしい。
そんな親心ともいえる西茨城の気持ち、心配を感じて。
イズモは胸が熱くなった。
 
血を分けた父親は、問題を起こした自分を厄介なものとしか思ってない。
だが西茨城は……小さなころから面倒を見てれくれた、この初老の男は。
心から自分を案じてくれているのだ。
 
浮かんできた涙をごまかすように、咳払いしながら両手で顔をぬぐった。
 
「ありがとう、西茨城」
 
家令は黙って微笑むと、ていねいに頭を下げた。
 
 
 
部屋の扉がコンコンとたたかれる。
西茨城が開けると、厩番頭(うまやばんがしら)のベニマルが立っていた。
厩番(うまやばん)は、オートモビルを管理する仕事だ。
 
「どうも西茨城の旦那、若さまはこちらだと聞いたんですがね」
「ここにいるよ、ベニマル。どうしたんだい?」
「あ、若さま……このたびはどうも……あの……」
 
勘当のことを聞いたのだろう、ベニマルは言葉につまる。
イズモは優しく微笑むと、話を促(うなが)した。
 
この家に何台もあるオートモビルの、整備と維持を任されるのが厩番だ。
そしてベニマルは、その厩番のカシラである。
整備の都合から、家を出るのにどの車を使うのか、と聞きに来たのだった。
 
「オートモビルは要らない。モータサイクルでいく」
「モ、モータサイクルですかい?」
 
モータサイクルと聞いて、ベニマルは目を見張る。
それからそれが、ただひとつ、イズモが自分で買った乗り物だと気づき。
ニカっと笑って納得した。
 
「了解です。それじゃ早速、作業にかかりまさぁ」
 
ベニマルは仕事場へ向った。その道すがら、気合を入れて小さくつぶやく。
 
「若さまの門出だ、カンペキに整備しなくちゃな」
 
小さなころから作業場に出入りして、飽きることなく機械をながめていた。
これはなに? あれはどうする? と、ベニマルの仕事を邪魔したものだ。
そんなイズモは、彼にとってかわいい弟のようなものだった。
 
もちろん相手は主(あるじ)の子息であるから、口に出しては言えない。
だが、ベニマルは心の中で、いつもそう思っていた。
もっとも、もし本人がそれを聞いたら、
 
「ずいぶん歳の離れた兄だな」
 
と、うれしそうに笑っただろうが。
 
 
 
ベニマルが厩に戻ると、西茨城がイズモを向いて問う。
 
「若さまは、士家の世話になる気はございませんのでしょう?」
「あんな話を聞かされて、いまさら俺が士家のやっかいになると思うか?」
 
世界が昨日までと、全く様相を変えてしまったというのに。
 
「ああ、もちろん辺境……いや、いくら西茨城でも、行く先は教えないよ」
 
父親に問われた時、西茨城が「行き先は聞いていない」と言えるよう。
白々しくそう答えて、イズモはニヤリと笑う。
すると西茨城も、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
 
「ああ、そういえば! 大切なことを、お伝えし忘れておりました」
 
稚気を含んだ言い回しに、イズモは西茨城を見る。
 
「ご存知でしょうか。外郭地域の乗り物は、皇都とちがうと言うことを?」
「どういうことだ? モータは同じだろう?」
「あそこでは未だに、内燃機関が動力として使われています」
「ああ、液燃で発電する機械だな? 発電してモータを動かすのか?」
 
西茨城は何を言いたいのだろう?
 
「発電ではなく、液燃を爆発させた動力で、直接、車輪を回します」
「モータに比べると、効率が悪そうだな」
「振動が大きく、空気を汚すために、皇都では導入されませんでした」
「だろうな……しかし、そんなことが出来るのか……内燃機関ねぇ」
「つまりですね、外郭地域には……」
 
言葉を切った西茨城は、笑い出しそうな顔をした。
 
「若さまの見たことない動力で動く、モータサイクルが走っているんです」
 
とたん、イズモの顔は光を浴びたように輝きだした。
 
技術の遅れた、不潔な世界。
すべてが荒っぽく、危険な世界。
自分の常識がまるで通用しない、辺境の世界。
 
そんな見知らぬ危険地帯へ、たったひとりで飛び込んでいく。
そう考えていた先ほどまでの悲壮感は、すでに煙と消え去っていた。
まだ見ぬ新しい世界への、興味と冒険心がふくらんでくる。
 
知らない動力で走る、知らない構造のモータサイクル。
それはイズモの好奇心を刺激し、背中を押すのには充分だった。
まだ見ぬマシンを思い、イズモはワクワクしてくるのを止められない。
 
それからふと気づいた。
 
つまり西茨城は、わざとこの順で話したのだ。
まず、危険な話、鬱(ブルー)になるような歴史を話し。
その後に、イズモの興味を引く話をするという順で。
 
外郭世界の危険を、しっかりと理解させながら。
それでも彼が、新たな世界に希望を持ち。
胸を張って飛び出してゆけるように。
 
長いこと世話になった家令の、最後の心づかいに。
イズモはまた目頭を熱くする。
あふれてくる涙を、唇をかんでこらえる。
 
しかし、今度はごまかせなかった。
 
 
 
ベニマルの突貫作業で、昼過ぎにはモータサイクルが仕上がっていた。
遅くまで西茨城と話していたため、寝坊したイズモは。
そのころになってようやく、厩(うまや=ガレージ)へ顔を出した。
 
そこでベニマルに、修理した部分や注意事項を聞く。
イズモは他の家人と違って、自分と同じほどの機械好きだ。
なので、ベニマルの説明にも、自然と熱がこもる。
 
愛機を見ながら、ベニマルの言葉にうなずいていると。
 
厩の入り口から、誰かが入ってきた。
入ってきたのは西茨城だった。
手には昨晩、イズモが荷造りしたバッグを持っている。
 
そのバッグを渡し、西茨城は晴れ晴れとした笑顔を見せる。
 
「いろいろなことが起こるでしょうが、それはすべて肥やしになりますよ」
「ああ、ありがとう西茨城。ベニマルもありがとう。それじゃあ、行くよ」
 
あっさりとそれだけ言うと、イズモはモータサイクルにまたがった。
別れは昨夜、すませてある。
あとは、未知の世界へむかって旅立つだけだ。
 
モータサイクルの起動フェイズが終了したところで。
 
家令と厩番頭へむかって、片手をあげてみせる。
ふたりがうなずくのを見届けると、イズモはゆっくりとアクセルをあけ。
まだ見ぬ世界へむかって、静かに走り出す。
 
胸の中には一抹の寂しさと、それに倍する期待が膨らんでいた。
 
 
 
 
 
しゅっしゅっ、しゅっしゅっ……
 
送気筒(そうきとう:ポンプ)をゆっくりと動かす。
すると、その動きにつれて、液燃缶の中に空気圧がたまってゆく。
充分に圧力がかかり、液燃が気化しやすくなったところで。
 
男は手を止めた。
 
液燃缶からつながった管は、小型の燃炉(ねんろ)へつながっている。
燃炉のつまみをひねって、液燃を少しだけ出し、火口(ほくち)をぬらす。
そして液燃でぬれた火口へ、燧(ひうち)で点火。
 
しゅぼっと大きな音がして、液燃は勢いよく燃え上がった。
 
初冬の早朝、厳しい冷え込みの中。
燃え上がった炎の、思わぬ心地よい暖かさに。
男は手を止めて、赤い揺らめきを眺める。
 
しばらく眺めていると、やがて液燃が尽きたのか、炎が小さくなる。
つまみをひねり、消えかけた炎を大きくすると、すぐにつまみを戻す。
繰り返すうちに、熱が燃炉の全体にゆきわたり、炎が安定する。
 
ゆらゆら燃えていた赤い炎は、やがて。
ごうごうと激しい音を上げる、青色へと変わった。
燃焼音だけが、静かな山の中に響く。
 
燃炉が安定したところを見計らって。
 
男は背嚢(はいのう)から、小さなやかんを取り出した。
三合ほどの容量だろうか、そのやかんに水筒から水をいれ、燃炉へかける。
やかんが、液炉の支脚にしっかりと座ったのを見届けると。
 
懐から紙巻を取り出して、燃炉の炎で火をつける。
 
のんびりと煙をあげながら、紙巻を二本灰にしたところで。
ちんちんと湯が沸いた。
男は背嚢から、軽金属で出来た糧盒(りょうごう)を取り出す。
 
その軽金属の器に、茶葉の粉末を入れて湯を注ぎ、茶粉を溶かす。
それから残った湯を、小型の湯婆(たんぽ)へ注ぎ入れた。
たんぽのフタをして、その周りを布でくるむ。
 
片手にたんぽ、片手に茶を入れた糧盒を持って立ち上がり。
男はくるりと後ろを振り返った。
そこには鉄馬(うま)が一台、停脚に寄りかかって立っている。
 
鉄馬の座鞍に左手をかけ、右手で小さなつまみを引いた。
すると、カチリと音を立てて座鞍が外れる
中には工具や、鉄馬の制御をする装置が、所狭しと詰め込んであった。
 
黒い小箱、蓄電(バッテリ)のそばに、布でくるんだたんぽを置く。
それから、ずずっと茶をすすると、身体が暖まったのだろう。
ほうと大きなため息をついた男は、大きく伸びをした。
 
  
 
白鳳霊山の中腹ほど、帝都へ続く峠道は、人っ子ひとり見当たらない。
 
初冬の早朝だから、という理由だけではない。
数年前、霊山の山腹を抜ける隧道が掘られ、主要な皇道とつながった。
そのため、曲がりくねって走りづらい山道は、すっかり寂れてしまった。
 
こちらの峠道を通るものは、今ではほとんどいない。
 
人通りが途絶え、経営難から店仕舞いした、峠茶屋の廃墟。
やわらかい黒熱石を敷き詰めて、熱と重機で均(なら)した駐車場。
今は、男の鉄馬が一台、ぽつんと停まっているだけである。
 
道の舗装にも使われる黒熱石には、蓄熱する性質がある。
そのため、地面に天幕を張るより、寒さをしのぎやすい。
冬場の野宿をする者に、黒熱石の駐車場が好まれるゆえんだ。
 
すっかり葉を落とした木々が、蒼く澄んだ空へ手を伸ばしている。
 
 
 
低い位置から瞳を刺してくる陽光に、男は目を細める。
 
「そろそろ、いいかな?」
 
革袴の隠し(物入れ)から鍵を取り出し、鍵筒に差し込んでひねる。
すると、鉄馬の前照灯が、ジジっと言いながら明るい光を発する。
計器盤の小さな確認灯が、ぽっと緑や黄色の光を灯(とも)し。
 
ニーッ、ニーッ
 
電動(電気発動)の動く音が、静かな山間に響く。
 
すべての動作が完了すると。
男はおもむろに、操桿(そうかん)の右手にある釦(ぼたん)を押した。
起動用の電動を、回すためのものだ。
  
がしゅっ…………きゅるきゅる……
 
わずかの間、考え込むように沈黙したあと。
 
ばるん! ばるるん! ばるるん!
 
液動(液燃発動)がぶるぶる震えながら起動した。
 
「やれやれ、なんとかかかってくれたか」
 
男は安堵のため息をつき、片付けた天幕や燃炉を雑嚢にしまいこむ。
その雑嚢を、座鞍のうしろへ積んで縛り上げる。
それから背嚢を背負って、緩衝帽(ヘルメット)をかぶったところで。
 
どよどよと、近づいてくる排気音が聞こえてきた。
そちらに目をやった男は、あからさまに顔をしかめる。
しかし、それも無理ない。
 
やってきたのは、黒白に塗られた警邏動輪(けいらどうりん)だった。
 
警邏動輪は道沿いに停まり、中から警士がふたり降りてきた。
 
先に降り立った若い警士が、小走りに近づいてくる。
あとに降りた年かさの方は、腰の警邏刀に手をかけ。
辺りをうかがいながら、ゆっくりとこちらへやってくる。
 
駆けてきた若い警士は、男のそばまで来ると、横柄な口調で言った。
 
「なにをしておるか?」
「見りゃわかるだろう。ここで一泊して、これから出るところだ」
 
警士は一瞬、ムッとした顔で何かを言いかけた。
それから、その言葉を飲み込んで、フンと鼻を鳴らす。
警邏粛清綱紀(けいらしゅくせいこうき)を思い出したのだ。
 
数年前に皇布されたこの法律は、職務質問ひとつさえ細かく規定される。
今までのように「おい、キサマ」と、頭ごなしの詰問は出来ない。
皇都からの通達は、神意であり、絶対なのである。
 
少なくとも、タテマエ上は。
 
「操縦証を出したまえ。これは皇務による要請である」
「要請とは言っても、皇務によるものなら、拒否は出来ないだろ?」
 
皮肉な表情を浮かべて、警士を挑発するように笑うと。
男は、革袴の隠しから財布を取り出し、操縦証を提示する。
 
「三輪ライデンね。たいそうな名前だ。えぇと住処は……あっ!」
 
若い警士が言葉につまり、男……ライデンはニヤニヤと笑う。
あとからやってきた年かさの警士が、「なんだ?」と手元を覗き込んだ。
そして彼も、ライデンの操縦証を見つめたまま、固まってしまう。
 
ゆうに十を数えるほど固まってから、若い警士はそっと操縦証を返した。
 
「行っていいのかい?」
「華家、三輪様のお身内とは知らず、ご無礼いたしました」
 
ライデンの操縦証に書かれた住処は、皇都内のそれだったのだ。
 
警士たちは警邏動輪に乗り込み、そそくさとその場から走り去っていった。
操縦証を財布にしまいこみながら、その後ろ姿を見送る。
警邏動輪が小さくなって姿を消すと、ライデンは肩をすくめた。
 
「そら確かに、華家と知って、おびえるなって方が無理だろうけどさ」
 
そこで唇の端を上げ、ニヤリと笑った。
 
「俺が華家の人間かどうかなんて、ちっと考えりゃわかるだろうに」
 
そう、ライデンはイズモの実家、三輪の名前を騙(カタ)ったのである。
発覚すれば、終身刑にさえ問われかねない重罪だ。
もっとも、彼に罪の意識があるとは、到底、思えないのだが。
 
「俺が神官に見えたたんだろうか? 揉め事を避けただけかな?」
 
精巧な、「偽造の操縦証」を入れた財布を、革袴の隠しに仕舞って。
ライデンは、ブルブルと震える愛機のギアを入れる。
鉄馬は地面を蹴飛ばすように、勢いよく走り出した。
 
 
 
ここは皇都の外、外郭地域と呼ばれる世界。
 
イズモが走り出した世界は、彼の想像よりずっと大きく、広く。
 
地平線の彼方まで続いていた。
 
 
 
モーターブルー/了