笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

目的

 
正しい、間違ってるってのは、「目的」があるから発生する。
成功や失敗も、「目的」があるから発生する。
 
生きると言う目的があるなら、飯を食うことは正しくて、自殺をするのは間違ってる。
山の頂上に登ると言う目的があるなら、登頂すれば成功で断念して下山すれば失敗だ。
 
宗教が自殺を否定するのも、なのに宗教が戦争を肯定するのも、もしそこに目的がないなら単なる事象であって、それに正しいも間違いもない。
 
山に登る過程でなにかを発見したり、いかに人間的な成長を遂げようと、目的が成長ではなく登頂であるなら、それは完全に失敗だ。
 
 
 
正しいとか間違ってるとか、成功や失敗について争いになるのは、争ってる人間の「目的」が違うから。
 
争いが長引くのは、目的が違うということに片方、もしくは両者が気づいてないか、わかってて無視してるか。
 
もしくは「長引かせることが目的」だから。
 
 
 
だから、訳がわからなくなったり迷ったら、目的を確認するのが最初にするべきことなのだ。
 
会社を発展させて出世あるいは増収を望むのか、もめたり退職してでも自分のプライドを守るのか。
もちろんその二つは「事象」として等価であり、そこに正誤も善悪もない。
 
会社の理不尽に耐えることも、自分のプライドを守ることも、それ単体に善悪や正誤のベクトルは存在しない。
 
人は等しくいずれ死ぬのだから、なんなら生きてることにさえ「事象」としての価値しかない。
 
 
 
すべての価値は「目的」があって初めて発生する。
 
 
 
てなことを今日、患者さんに上司の愚痴を聞かされながら思った。
 
その人は這いつくばりそうなイキオイだった腰痛が軽減したら、晴れ晴れとしたした笑顔で帰っていった。
 
週末は娘さんと出掛けるそうだ。
 
あんたの「目的」は上司に辞表を叩きつけることじゃなくて、それだよ、きっと。