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創作サイト【神々】の日記

乾麺考

もともと、乾燥食品というものは、保存のために考案されたものである。
缶詰や瓶詰のはるか以前から、人類は食品中の水分を少なくすることで、長期保存するという技術を持っていた。
ところが、乾燥させることで、違ったうまみ成分が増すことに気づいたヒトがいる。さらに、それをもう一度水なりお湯で戻すと、生の状態とは違った、別のおいしさを持つのだ。
大発見といえるだろう。
干物というのは、そんな人類の英知の塊である。
その後、缶詰や瓶詰が出来てきても、干物が独自の地位を守っていられたのは、単なる長期保存用食品という位置に満足せず、日夜精進を行い、新たなうまみを身に着けた、そのたゆまぬ努力の結果だと言ってもよい。
 
さらに時代は進み、人々はチキンラーメンを手にする。
どんぶりに入れて、お湯を注ぐだけ。
なんという簡略。なんという英知。なんという感動。
 
そして、ついに。
人類はその手に早すぎるかもしれない贈り物をいただくことと成る。
 
カップヌードルの誕生だ。
 
もはや容器さえ用意する必要のない、究極の乾燥食品。ヒトは、カップヌードルという翼を得て、インスタントラーメンという大空を制覇したのである。
 
だが、カップヌードルは早すぎた。
そのあまりの完成度に、後発のインスタントラーメンをことごとく撃墜していったのだ。それらは、ものめずらしさで一時的にヒットすることがあっても、結局はカップヌードルの牙城に太刀打ちできず、やがてその姿を消す。
黎明のときより現在に至るまで、カップヌードルを超えるインスタントラーメンは生まれていないと言うのは衆目の一致するところだ。
 
だがここに、まったく発想の転換をし、カップヌードルに比肩する力をもった剛の者が現れる。
 
ペヤングソース焼きそばだ。
 
乾燥めんにお湯を入れ戻し、それをまた湯きりするという、消費者に二度手間を強いるこの製品は、その複雑な行程と、湯きりのときに頻発する悲劇をものともせず、カップヌードルの牙城の一角を切り崩すことに成功する。
まさに、インスタントラーメン界のロータリーエンジンと言えよう。
湯を入れ、3分待ち、湯をきり、ソースを入れて、ふりかけをかける。
この複雑な行程は、複雑さゆえに、まるで単気筒エンジンの始動のような、儀式的な感慨を人々に与えた。
もはやペヤングは単なる食事ではなく、一連の動作をよどみなく行う自分の姿に酔うという、ある種の職人的な、マニア的な喜びを人々に与える、エンターテインメントへと昇華された。
 
が、ここでもやはりカップヌードルと同じ問題が起こる。
後発が、弱すぎるのだ。
正統派で勝負する敵が、少なすぎるのである。
さすがにカップヌードルを作った会社は、彼らのプライドを賭け、UFOという名作を生み出した。
しかしこのUFOも、ペヤングほどの力はなかった。
後に彼らは「ターボ湯きり」などという付属的メカニズムで対抗しようとするが、これは浅はかだったといわれても仕方ないだろう。
前述の「儀式としての湯きり。麺をこぼさないように神経を集中する、しびれるような緊張感」といったものを、作り手側が理解していなかったのかもしれない。
おそらく上層部の簡略化の決定に対し、現場では強烈な抵抗運動がなされたことだろう。上層部のカップ焼きそばに対する無知に、「手順の美」を理解する人々は、涙を流したに違いない。
 
奇抜な名前をつけ、安易に変わった味付けをし、一発当たってそこそこ稼いでくれればいいと言う様な風潮が、奇妙なインスタントラーメン・焼きそばの横行という、嘆かわしい現状を作り上げた。
その上、さらに上層部の無理解は、暴走を始める。
別業種のメーカーと提携し、アニメーションキャラクタの名を冠すなど、名前に乗っかるという、もっとも安易な方向へシフトしていったのだ。
 
そしてついに、彼らは禁断の王家の墓を暴いた。
 
 
 
 
 
 

 
お菓子業界において、ポテトチップとカッパえびせんというのは、カップヌードルペヤングに勝るとも劣らない、重厚な仕事をしてきた、いわば代表作だ。
その、名作であり業界の功労者でもある彼らを、こんなことに使うというのは。
私には、どうしても許せないのである。
 
 
 
ま、ぶっちゃけウマかったら、正反対のコト書いてたんだろうけどね。
味のほう、もう少しどうにかならなかったんだろうか?