笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

お中元

思うんですがね。
モノとか銭はともかく、心とか行為を『あげ』たり『貰っ』たりしちゃいけないと思うんですよ。ナニナニしてあげたり、ナニナニしてもらったりての。や、百歩ゆずって貰うのはまだしも、あげちゃあいけませんね。
「愛してあげたのに」「食わしてやってるのに」
ほら、ものすげ空ろな、むなしい響き。
 
たとえば愛ってのが崇高なものなのか、尊いモノなのか、そんなこと俺は知っちゃいませんが、少なくとも、愛して『くれる』なら、俺は要りません。ないと人生に潤いがなくなるけど、なくても生きてはいけますからね、愛って。
どっちにしろ愛情ってのは、基本的に自分が感じるもので、イコール、自分のためのものなんですよ。愛して『あげる』んじゃなくて、愛してるの。もしくは、愛してないの。どっちか。
あげたり下げたりコントロールできるくらいなら、コレだけ長い間、人類が悩み続けてるわけないですからね。
 
あるいは、たとえば一日の三分の一から、人によっては半分近くも使って、汗かいたり、ストレスためたりしながら働いた対価が、収入なワケです。その収入を、惚れた女や愛する子供に使う。
これはもう、「食わしてやってる」んじゃなくて、自分がやりたいからしてるんですよ。疲れたり、イラついてて勘違いしちゃう節はあるでしょうが、基本的に人間、愛してない者の『ため』には働けない。
愛してるからこそ、甘えちゃって、そんな言葉が出るだけ。
もし愛してないなら、それは確かに「食わしてやってる」のかも知れないけど、それなら食わして『やらなくて』いいでしょ? 愛してないんだから。放って置けばいい。
家族の『ために』働いて『やってる』んじゃなくて、むしろ、そばに『いてもらってる』んじゃねーか? 心がなくなったり、魅力で繋げない分、金でつないでないか? て話ですよ。
 
ま、てめえの金をてめえでどう使おうと、俺の知ったことじゃないですが、人生を削って得た『収入』を、家庭内で偉そうにするための代価とか、子供に言うこと聞かせるための代価に使うんじゃ、あまりにもったいない。
もったいなさ過ぎる。
やっぱ、知ったことじゃなくないや。
俺にくれ。
 
愛情は自然に生まれ、場合によっては自然になくなるものだと思います。金は心や行為、あるいは好意(商売としての行為、好意はもちろん除く)を買うものじゃなくて、モノを買うツールだと思います。
 
あげる、あげないは、中元や歳暮くらいが無難なんでしょうね。