スーパーの自動ドアを入る。
店の中は喧騒にあふれていた。
そして俺は、おどろきに動けなくなる。
「いらっしゃいませー!」(また客が来たようぜぇ)
「あら奥さん、こんにちは」(うわダッサい服)
「あらあら、奥さんしばらく!」(ち、安い肉が買いづらいわ)
スーパーにいる人の、言葉と心の声が、重なって聞こえるのだ。
相手が黙っていれば、なにも聞こえない。
だが、言葉を発すると、そこに重なって心の声がする。
俺は軽いパニックで、思わず固まってしまった。
同時に、心のすみっこで、「ああ、なるほど」と納得もする。
俺はポケットに隠れた春菊に話しかけた。
「春菊、おまえには俺の言葉が重なって聞こえるか?」
「聞こえたり聞こえなかったり。ケージの声は聞きやすいよ」
「今は?」
「今はちょっとわかんない。ごちゃごちゃしてる」
俺の脳内は、今、とても混乱している。
それが複雑すぎて、春菊にはノイズに聞こえるのだろう。
彼ら動物たちは、脳の中と発した言葉が同じ。
だが、人間の場合はそれが一致してない。
それが春菊たちには同時通訳みたいで聞きづらい。
ということになるわけだ。
そして、これこそが。
ビー玉を触った人間が、すぐに自殺する理由だったのだ。
いつも他人の本音が聞こえるのだから、たまったもんじゃないだろう。
気が弱いやつなら、死んでもおかしくない。
と、ここで俺は、恐ろしい可能性に思い当たった。
「ま、まさか、相手にも俺の頭の中身が漏れてるのか?」
「ニンゲンは別みたい。鈍いんじゃない?」
「そ、そうか……とりあえずよかった」
自分の気持ちがダダモレになるマンガ、サトラレ。
ああいう話にはならないようだ。
安心してると、春菊が感心したようにつぶやいた。
「ニンゲンってみんな、違うことを同時にしゃべるよね。すごいよね」
「すごかねぇよ。むしろ、そんなヤツはロクでもねぇ」
「だって、ニンゲンだけだよ、そんなの」
「おまえらのが、ずっとすげぇよ。人間はダメだ。俺も含めてな」
「ケージはダメじゃないよ! バイク乗せてくれた」
そう言ってもらえるのはありがたい。
だが、今はなんの慰めにもならないよ春菊。
軽い絶望に襲われて、俺は言葉をなくす。
俺はこれから、動物の言葉を理解できて。
しかも、人間の本音を聞かされ続けるわけか。
まったく、うんざり……ん? まてよ?
それって悪いことばかりじゃないよな?
なんたってサトリの能力だ。
人間との駆け引きなら最強じゃないか。なんだってやれる。
そう考えればこの能力も、まんざら捨てたもんじゃない。
それどころか、これからの人生をばら色に……
ま、まてよ? 本当にそうか?
人間の本音を聞かされるのもアレだが。
動物の言葉を理解できるってのも、これはシンドいんじゃないか?
今までは動物の声なんて聞こえなかったから平気だった。
だが、これからは、それがこっちにも理解できちまう。
つまり<意思の疎通ができる相手>なんだぞ?
気にしなきゃいいなんてのは、とんでもない間違いなんじゃないか?
「こらぁ、確かに狂うわ」
言葉を発しない限り、脳内を読まれない。
これがまあ、唯一の救いといっちゃ救いだろう。
ずっと垂れ流しだったら、相手の心がわかるにしろ、自分の心が(動物限定とは言え)バレるにしろ、あっという間におかしくなる。もっと図太いヤツなら動物なんて気にしないかも知れないが。
それにしても……
「動物とは言え、コミュニケーションの成立する相手だもんなぁ」
「ケージ、困ってる」
「聞こえたか?」
「うん。困った困ったってずーっと言ってるよ」
口を開いたとたんコレだ。
春菊相手ならまだしも、他の動物にまで聞かれるのはいやだ。
俺は動物が人間の言葉を理解できると知ってしまったんだから。
もっとも、これはなるべく動物のいないところへ行けばすむか。
まあ、とにかく冷静になろう。
とりあえず、約束どおりひまわりの種を買うと。
逃げるようにアパートへ戻った。
自室で、『喜びのひまわりダンス』を踊る春菊を眺めつつ。
俺はこの先の作戦を練った。
春菊に大人しくしてるよう言い聞かせて、俺は家を後にした。
結論として、『心の問題は、精神的にキツくなって』から考える。
まずは手っ取り早く金を稼ごう。
とは言え、元手のない俺がこのチカラを利用して稼ぐには、ギャンブルくらいしか思いつかない。しかも、機械相手のパチンコは論外、競馬も馬と話す機会があるかわからないし確実性に欠ける。
となれば人間相手の手軽なギャンブルとして、麻雀が無難だろう。
駅前の麻雀荘へ入ると、元気のいい声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませー!」(貧乏そうなのが来たな)
「当店は初めてですか?」(昨日の女、今晩にでも電話してみよう)
「それではシステムを説明します」(だりー、早く帰りてぇなあ)
フリー客として、ほかの客と卓を囲む。
黙り込まれては困るから、注意されない程度に話の水を向ける。雀荘でペラペラしゃべるのはマナー違反だし、イカサマ防止のために禁止されることが多いのだが、ここではしゃべっても、目くじら立てられることはなかった。
若者の多い店だからかも知れない。
幸い、卓を囲んだ客が話好きだったので、俺は連勝する。
だが、言葉に重なる脳内の声を聞くのは、思いのほか疲れる作業だった。
やってるうちに頭痛がしてくる。
十万円ほど勝ったところで、俺は勝負を切り上げて立ち上がった。
店を出るとき、カゴに飼われている小鳥がぴよぴよ鳴いた。
「ぴよぴよぴよぴよぴよ」(上手くやったじゃねぇか)
「おう、ありがとな!」
「ぴよぴーぴよぴよぴー」(言葉も通じないくせに、タイミングよく返事するな)
「はは、通じてるよ。俺は他の人間とは違うんだ」
小声でそう答えると、俺は店から出る。
うしろから小鳥の声で、「あーびっくりした。こっちの言葉がわかるのか。おどかすなよ、ニンゲン!」と騒いでいるのが聞こえてきて、俺は思わずクスリと笑ってしまった。
帰りにペットショップへ寄って、ちょっと高めのハムのエサを買い。
俺は春菊の待つアパートへ戻った。
俺の生活は一変した。
仕事をやめて、麻雀荘へ出入りするようになる。
そしてそこで、俺は人気者になっていた。
よくしゃべる気のいい男。上手くはないが、たまに驚くほどの読みをする。真剣にやる気はないようで、真面目な大勝負はあまり好まない。みんなでおしゃべりしながら気楽に打つのが好き。
これが俺の得た評価だ。
いや、こっちだってホントは大勝負で勝ちたい。
だが、ペラペラしゃべりながらそういう大勝負をするやつはいない。相手がしゃべらなければ心は読めないから勝てない。仕方ないので、しゃべっても見逃される程度の、軽い勝負で勝ち負けを繰り返す。
それが真相なんだけどな。
稼ぎはサラリーマンのころと、それほど差がない。
だが、気楽だし面白いし、時々は手に汗握る勝負も出来る。それに、知り合ったばくち打ち仲間に教わって、非合法のカジノへも出入りできるようになった。もっとも、こっちでも大勝はほとんどない。
だが、代わりに人脈が出来た。
色々な人に紹介され、そこで会話を繰り返すうち。
俺は交渉人としての仕事を請(う)けるようになった。
そしてその仕事は、ばくちよりずっと大きな儲けを生んだ。
相手の思うことを見透かすような、腕のいい交渉人。
そう呼ばれるまでに、それほど時間は掛からなかった。
まあ、ホントに相手の頭の中身がわかるんだから、当たり前の話だ。
俺がやることは、とにかく相手にしゃべらせること。
相手がしゃべってくれさえいれば、考えてることはすべてわかる。
交渉を依頼してくるスポンサー相手には、
「相手の言葉や表情から、本心を推察できるんです」
とかなんとか、適当なことを言えば、みな簡単に騙された。
俺の前でウソをつくことは出来ない。
だから俺は、政治家や経済界の大物、暴力団幹部などに重宝された。
中には、精神分析について本を書かないか? なんて話もあったりして。
さすがにそれは断ったけどな。
「ハムスターのビー玉が」なんて、書けるわけないし。
俺はやたらと忙しくなった。
同時に、預金の額が天井知らずに増えてゆく。
腕のいい交渉人は、どこでも重宝されるのだ。
特に、ウラの社会では。
俺は春菊のためにひと部屋を借り、エサやオモチャを山ほど用意した。
春菊は喜んで、最高級のエサを食い、色んなおもちゃで遊ぶ。
彼にとってはとんでもなく広い部屋の中で、春菊は自由に暮らした。
俺はあまり家に帰らなくなった。
そんな生活が、半年ほど続いたある日。
春菊の姿が消えた。
第四話へ続く