笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

モーターブルー(2)

 
「やれやれ、どうやら生きてる」
 
目を覚ましたイズモは、まず、そうつぶやいた。
それから横になったまま、あたりを見回す。
予想した病室や集中治療室ではなかった。
 
寝かされているのはどうやら、オートモビルのリアシートらしい。
革張りの高級そうなシートから、ゆっくりと身を起こす。
ウインドウから、見慣れたパーキングエリアの景色が見えた。
 
そこで、ふいにアタマの焦点が合う。
同時に、寝ていた場所の正体に気づいた。
これは、自分を跳ね飛ばしたモビルの中だ。
 
イズモは跳ね起きると、高級車のリアシートから飛び出そうとした。
そこで、ドアにロックがかかっていることに気づく。
ロックの解除装置が見当たらず、取っ手がむなしくカタカタと動くばかり。
 
「くそ、閉じこめられた!」
 
事故のこともあってか、自分でも驚くほどの怒りがわきあがってきた。
 
がん、がん、がん!
 
怒りに任せてドアやサイドウインドウを殴りつけ、蹴っ飛ばす。
 
「あけろっ! このやろう!」
 
それに気づいて歩み寄ってきた男が、外側からドアを開けた。
運転者がオートモビルから離れたため、自動でロックされてしまったのだ。
だが、そんなことは今のイズモには関係ない。
 
飛び出したイズモは、怒りに任せて飛び掛ろうとした。
そこで脚がもつれ、男の前に座り込んでしまう。
男がニヤニヤと笑いながら、肩をすくめてイズモを諭す。
 
「まだ、本調子じゃないようだから、無理はしないほうがいい」 
「やかましい! てめぇわざとだろ! わざとやりやがったな!」
「ああ、そのとおりだ」
 
叫んだイズモの目を見ながら、男は平然とした態度で答える。
 
へたな言い訳なんかしやがったら、ぶっ飛ばしてやる。
そう思っていた矢先に、この開き直ったセリフである。
気勢をそがれてるイズモへ、男は言葉を継いだ。
 
「事故に見せて殺すつもりだったんだが、案外しぶといな、君は」
 
思わず息を呑んだあと、先ほどに倍する怒りがふくれあがる。
すばやく立ち上がり、怒りに任せて殴りかかる。
が、男は余裕をもって往(い)なし、ひょいと足を引っ掛けた。
 
まだ足元が定まっていなかったイズモは、盛大にひっくり返る。
 
「まあ、落ち着けよ。さすがに華家の人間を、今ここで殺そうとは思わない」
「なんだと?」
 
男は鋭い目をさらに細め、片側の頬を吊り上げる。
どうやら嘲笑(わら)っているつもりらしい。
 
「事故に見せかけて殺せと命を受けてたんだが、君は案外タフだった」
「命令……だと?」
「そしてつい先ほど、その命令も撤回された」
「いったい、誰が?」
 
イズモの問いには答えず、男は挑発するように笑う。
 
「よかったな、華家のお坊ちゃん。もう殺されないから安心していい」
「てめぇ……」
「もっとも、それでも殴りかかってくると言うなら、正当防衛……」
「おやめなさい」
 
凛とした声が男の言葉をさえぎった。
男は振り向いて声の主を確認すると、わざとらしく肩をすくめる。
それから深々と頭を下げ、皮肉な表情を浮かべながら、
 
「姫(ひい)さま、こういう連中とは、あまり関わらない方が」
 
と捨てぜりふを残し、パーキングの向こうへ歩いていった。
 
 
 
声をかけた女……女王と呼ばれていたイズモの友人は。
哀しそうな、見ようによっては泣き出しそうな表情をしていた。
 
「どういうことです?」
 
ぶすりと問うイズモに。
女王は美しい眉をひそめて、「ごめんね、巻き込んじゃって」とだけ言う。
もちろん納得のいかないイズモは、ちゃんと説明しろと食ってかかった。
すると彼女は、さらに困ったような、泣き出しそうな表情で答える。
 
「私の家がね、許さないのよ」
「なにをです? 俺を?」
「この場所にいることを」
 
女王は、彼にだけ聞こえるよう声をひそめた。
 
「許されようと許されまいと、私はここで走ることをやめる気はない」
「そんなことは、好きにすればいいでしょう」
「家の者にはそうはっきりと伝えたんだけど、それがまずかったみたい」
「家の者? それは?」
 
どうやら、彼女が華家だと思ったのは、正解だったようだ。
士家は武官だから、多少の荒っぽさも許される風潮がある。
しかし華家の、それも女性となれば、モータサイクルなど許されまい。
 
そんな風に思っていると、女王はとんでもない事を言い出した。
 
「私がやめないなら、一緒にいる者を消せばいい、と考えたらしいの」
「なんだって? むちゃくちゃだ! 誰がそんなことを?」
「お父様か……いえ、おそらく家令頭じゃないかと思う」
 
ひどい話だが、イズモはそこでいきなり激したりはしなかった。
女王の言葉を、何度も咀嚼(そしゃく)して考え。
そして、どうやら納得できる結論を導きだす。
 
そんな理由で簡単に殺そうとし、失敗しても悪びれず平気な顔。
たとえ巨大な権力を持っていても、普通はもう少し穏便な手を使うはず。
イズモの実家、三輪だって、さすがにそこまで無茶はしない。
 
そしてイズモが華家だと知っても、動じる気配さえない
三輪は酒神に仕え、酒やアルコール燃料などに関わる。
当然ながら国内に、莫大な権益を有している大華家だ。
 
その三輪を歯牙にもかけないとなれば、そんな存在はただひとつ。
 
(まさか皇家の血族だったとは)
 
神の血族が、夜な夜な違法走行しているというのは、確かに外聞が悪い。
それで、「姫(ひい)さま」の周りの連中、つまり彼らを一掃しようとした。
おそらく家司(いえのつかさ=皇家の家令)あたりの判断で。
 
そして失敗したあと、イズモが三輪だと知り、計画を中止したのか。
 
実に『らしい』、傲慢(ごうまん)で高圧的な考え方だ。
イズモは新たな怒りがわいてくるのを感じた。
しかしそれは、皇家の傲慢な考え方にではなく、目の前にいる女にである。
 
女王は何も知らなかった、おそらく、それは本当だろう。
だが、たとえ、主流ではなく傍流だったとしても。
彼女が皇家、つまり「神」と呼ばれる立場であるなら。
 
いずれこうなると、予測できたことでもある。
 
皇家が自分を殺そうとしたことは、納得はしないが、わからなくもない。
神は人間の上位にあるのだから、彼らがそう考えるのは、よくあることだ。
華家だって、その下の士家をぞんざいに扱うし、士家と衆民も同じ。
 
自分はそう考えないが、そう考える者がいることは知っている。
 
それより、自分が好きに走りたいからと、自分の都合だけを優先した。
『ほかの連中が巻き込まれる危険』を見過ごした。
その彼女の傲慢さが許せない。
 
ここでだけは誰も平等。
結局、本当はそう思っていなかったのだ。
彼女自身が、しばしば口にしたくせに。
 
神々は人間以上の存在だ。
 
だが、人間とて、すべて唯々諾々と従うわけではない。
 
神は祟(たた)り、神は恵む。
神々は坐(おわ)して、人々に豊潤をもたらす。
人々は奉(まつ)り、神々を寿(ことほ)ぐ。
 
この世界において、神は絶対者でなく「自然」の具現化した姿だった。
 
もちろんみな、神に対して畏敬の念を持ってはいる。
だが、恨みもすれば(言っても仕方ないとあきらめつつ)文句も言う。
神はお天道様であり、慈雨であり、嵐や津波でもある。
 
人と神とは、そんな関係だった。
 
だからこそ、イズモは許せないと思い、怒りを感じたのである。
 
 
 
「まさか、ここまでするなんて、考えてもみなかっ……」
 
つぶやく女王をさえぎると、イズモは無表情で膝をつき、臣下の礼をとる。
 
「臣下にあるまじき無礼、伏してご容赦、おん願い奉(たてまつ)ります」
 
女王は、凍りついた。
 
「これより二度と、臣(しん)が御前(ごぜん)に現れることはありません」
「え……あ……」
「無論、ここで見聞きしたことも決して口外せぬこと、確約いたします」
「イズ……モ……」
「姫様におかれましては、謹んで御心(みこころ)安んじられますよう」
 
立ち尽くす彼女には構わず、イズモは口上を続ける。
 
「これにて御前より辞しますこと、お許しくださいますよう、重ねて」
 
女王と呼ばれ、姫様と呼ばれた娘は、唇を噛んで震えていた。
臣下の礼を尽くした、丁寧な言い回しが、刃物のように胸を突く。
怒鳴られるより、罵(ののし)られるより、ずっと彼女の心を傷つけた。
 
神族の一柱として、尊重され、畏敬され、寿(ことほ)がれること。
 
それに慣れてはいても、納得もできていなければ、受け入れてもいない。
自分は神の血族に生まれたけれど、みなと何も変わるところはない。
この平等な世界でだけ、自分は血を忘れて、みなと一緒に笑えた。
 
そんな、こよなく愛した時間と空間、そして大切な人々。
 
それを自分が、永遠に失ったことに、彼女は気づいた。
彼女の心の支えであり、逃げ場所であった世界は。
今、音も立てずに崩れ去った。
 
それも、自分自身の考えの甘さが原因で。
 
後悔するにも、取り戻すにも、すべては遅すぎた。
 
イズモの、形式だけは礼を保った口上に、悲しそうな表情で答える。
 
「許す」
 
その声はか細く、ふるえていた。
たとえ大華家の子弟でも、このまま済まされるはずはない。
そうイズモに助言したかったのだが、口にすることはできない。
 
この場にはすでに、他の華家の手の者がいるはずなのだ。
 
彼女が皇家に連なるものだと、おそらく露見してしまっている。
他家のものが聞いている場で、これ以上の言葉はかけられなかった。
皇家は臣下を平等に扱わなくてはならない。
 
少なくとも建前ではそうなっている。
だから、イズモだけ、三輪の一族だけを特別扱いはできない。
それをすれば、他の華家たちが、決して黙っていないだろう。
 
有力な大華家である三輪。
その足を引っ張りたがるものは、掃いて捨てるほどいるのだから。
 
愛した場所でひとり、浮かび上がる涙を必死にこらえて。
女王は黙って立っているしかなかった。
やがて側近の連中に、そっと背中を押されるまで。
  
彼女はただ立ち尽くしていた。
 
 
 
一方、礼をして立ち上がったイズモは、内面で激していた。
 
くそっ、くそっ、くそっ。
 
女王の気持ちもわからないではない。
自分も華家の者として、ずいぶん不自由な思いをしてきたのだ。
 
だが、大切な場所は、大切な時間は、これで永遠に失われてしまった。
皇家がからんでるとなれば、すぐに規制の対象となる。
早晩、夜棲たちに何らかの規制がかけられることになるだろう。
 
自分だけでなく、ガンテツや他の連中も、大切なものを奪われてしまった。
 
あの陶酔の時間は、もうどこにもない。
 
叫びだしたい気持ちだった。
だが、まさか皇家神族へ、面と向かって罵声を浴びせるわけにはゆかない。
イズモは女王に背を向けると、表情を消して歩き出す。
 
ちらりと見た先に、先ほどの男と話しているガンテツたちが見えた。
彼と目が合ったときだけ、イズモは表情を取り戻し、そっと目礼した。
先ほどの臣下の礼よりも、よほど心のこもった礼だった。
 
ガンテツは唇の端だけで笑うと、ウインクして返した。
そしてすぐ真顔に戻って、男の話に聞き入る(風に見える)ガンテツに。
イズモは思わず、くすりと笑う。
 
大切な場所は、失われてしまったけれど。
尊敬していた女王は、色あせてしまったけれど。
それでもガンテツのおどけたウインクは、イズモの傷ついた心を救った。
 
「ガンテツさん、いずれ一杯やりましょうね。俺、あんまり飲めないけど」
 
ちいさくつぶやいて、またくすりと笑った。
 
 
 
第三話へ続く