笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

モーターブルー(1)

 
時間つぶしに読んでいた本を閉じて、ちらりと時計を見る。
深夜23時、帝都高速のパーキング。
大型貨物が通るたび、路面がゆらゆらとたわんでいる。
 
その男は、細くひきしまった身体を、黒い合成レザーの上下に包んでいた。
 
いや、服だけではない。
足元を固めるブーツ、かたわらに置いたヘルメット、そのすべてが黒い。
同じく夜を思わせる黒髪が、天幕(ドーム)の循環風にあおられて揺れる。
 
「さて、そろそろいいかな」
 
男……イズモはつぶやくと、噛んでいたガムを吐き捨てた。
それを感知した移動式のオートクリーナが、近づいてきてガムをひろう。
同時に、ガムを捨てた事実がクリーンセンターへ送られて記録される。
 
もちろん、捨てた者のID(個人情報)と一緒にだ。
 
ウカツなゴミ捨ては、こんな風にIDへのキズになる。
なので、皇都にポイ捨てをする者は、ほとんどいない。
だが、イズモはそういう事を、まったく気にしなかった。
 
「どうせ機械がひろう。IDを気にして生きるのは疲れる」
 
というのが、彼の言い分である。
 
防犯カメラから遠くに置いた、モータサイクルへ歩み寄る。
すると彼の接近をセンサーで感知し、M.A.Iが起動した。
M.A.Iとは、モータサイクル・アーティフィカル・インテリジェンス。
 
モータサイクル全てをコントロールする電脳だ。
 
メインモニタに、起動フェイズが表示される。
 
イズモはそれを無視して、走り出そうとアクセルを開けた。
が、モータサイクルは当然ながら、ピクリとも動かない。
同時に、M.A.Iから抗議の声が上がった。
 
「起動フェイズの終了まで、操作をしないでください」
「あーはいはい、ごめんごめん」
 
抗議をかるく流し、起動フェイズの終了を待つ。
 
「起動フェイズを終了。すべての機器は正常に接続、作動しています」
「アグリー(承認)だ」
 
M.A.Iが、違法アプリによる偽情報で確認した『事実』を告げ。
イズモは、それを『承認』する。
一連のやり取りで、電脳が『アプリに騙されている』ことを確認すると。
 
「さて、そんじゃ行こうか」
 
イズモは夜の帝都高速へむけて、アクセルをひねる。
メインモータにつながれたドライブチェーンが、後輪を力強く回し。
黒いモータサイクルは、電磁モータの低い音を響かせて走り出した。
 
 
 
イズモの駆るモータサイクルは、前輪をかるく浮かせて加速してゆく。
 
浮いた前輪が接地した時。
スピードメータの数字はすでに公定速度の2倍を軽く上回っていた。
そしてすぐに、2.5倍を超える。
 
高周波のモータ音とともに、夜の闇を切り裂きながら。
イズモはゆるい右カーブに差し掛かった。
すると、ミラーに後続車のライトが写りこむ。
 
紫がかった光の色合いを見て、イズモはすぐに相手の見当をつける。
 
「ああ、女王か」
 
チタニウム合金と、真鍮の外装に身を包んだ、モータサイクルが追いつく。
カーブを抜けた二台のモータサイクルは、並んで加速した。
相手はするりと前に出て、電磁モータのうなる鋭い音とともに猛烈な加速。
 
イズモもアクセルを大きく開ける。
 
次のカーブがみるみる迫ってくる。
フルブレーキングするほどの曲率ではないので、アクセルオフ。
同時に車体は、回生ブレーキで減速する。
 
アクセルを戻すとモータは加速をやめるが、車体には勢いがついている。
なので、今度は後輪につながったドライブチェーンがモータを回す。
その回転によって発電された電気は、バッテリに戻される。
 
結果的に、バッテリの「持ち」が良くなる。
一方、発電に速度を食われたことで、車体は減速する。
これが回生ブレーキだ。
 
二台は同時にカットイン(車体を寝かす)。
 
そして並んだままコーナリング
リアタイアのカーカス(ゴム)が、激しく千切れ飛び。
ブラックマークが、路面に美しい弧を描く。
 
 
さすがに平日深夜ともなると、帝都高速は空いている。
 
とは言え大都市だけに、まるっきり無人と言うわけではない
他のモータサイクルやオートモビルが、それなりには走っている。
その隙間を二台は、狂ったようなで速度で、ひらひらと舞うように抜ける。
 
愛してやまない陶酔の時間の中で、イズモはにやりと口元をゆがめた。
 
「へっ、やっぱり速いなぁ」
 
モータサイクルはモビルに比べ、乗り手の運転技術への依存度が高い。
要するに「ウデのよしあし」が大きく影響するのだ。
もちろん、あまりにも性能に差があればその限りではない。
 
だが、イズモと女王のマシンに、性能差はほとんどなかった。
 
「ちぇ、へこませてくれるぜ」
 
苦笑しながら背中を見つめつつ、次のカーブへ飛び込んでゆく。
 
シートの上で、女王の身体がゆるりと舞う。
 
決して、オーバーな激しいアクションではない。
だが、彼女の身体がすっと動くたび、モータサイクルはゆらりと揺れる。
そして、意志を持ったようにグイグイと曲がり、カーブを立ち上がってゆく。
 
舞踊を思わせるひとつひとつの所作が、流れるように美しい。
イズモは小さくため息をついて見入ってしまう。
と、曲がりこみのキツいカーブにさしかかった。
 
イズモはこのカーブが少し苦手だった。
ギリギリで突っ込んだつもりでも、少し速度を落としすぎてしまう。
その瞬間、女王との差がすぱっと開いた。
 
あわててアクセルを開けるが、ときすでに遅し。
進入速度の違いから、立ち上がりでさらに大きく差が広がる。
 
「くっ、やられたっ」
 
走りで相手を斬(き)る。
そう評される、女王の鋭い走りに舌を巻きつつ。
イズモは彼女の後ろ姿を追った。
 
 
 
やがて、長い橋に差し掛かった。
 
女王はすでに橋を渡り終えて、パーキングへ入ってゆくところだ。
 
こちらも橋を渡り、彼女へ続いてパーキングへ。
そこにはすでに、見慣れた連中が集まっていた。
それぞれのモータサイクルを並べて、わいわいと女王を迎えている。
 
イズモも近づいて行って、モータサイクルの列に愛機をすべり込ませた。
 
それから女王のモータサイクルを横目で眺める。
 
薄いチタニウム合金で作られた、プラスティックより軽いカウル。
真鍮(しんちゅう)色をした、フレア(炎)パターンのペイント。
樹脂製の部品を廃した、厳(いか)つい、ほの暗い雰囲気をまとう姿。
 
イズモは、ため息とともに見つめた。
 
と。
 
「イズモ、速くなったね」
 
ヘルメットを取った女王が、こぼれるように微笑む。
 
つややかな髪を、背中の半ばまで伸ばしている。
全身を包んだ黒いツナギの革は、なんと天然皮革だ。
その高価な素材が、豊かな胸に押し上げられ、大きく膨らんでいる。
 
ツナギの黒と対照的な白い肌は、街灯の光を受けて幻想的に光る。
大きな瞳で見つめられ、イズモは少しどぎまぎした。
それを隠すために、わざと仏頂面で頭を軽く下げ。
 
「どうも」
 
レザージャケットを押し上げる、豊かな胸を見ないようにしながら。
イズモはぶすりと応えた。
 
「あはは。相変わらず愛想がないね、この子は」
 
屈託なく笑った女は、片足をすっと持ち上げて、モータサイクルから降りる。
そうして立つと、ぴったりと張り付いた革ツナギが、彼女の曲線を強調する。
柔らかな身体のラインは、愛機の曲線にとけて、ちょっとした芸術作品だ。
 
「愛想がないわけじゃない……んですけどね」
 
聞こえないように小さくつぶやいて肩をすくめる。
周りの男たちが、彼女へ話しかけてきたのを潮に。
イズモは女王の前から離れて、奥へ向けて歩き出した。
 
パーキングの奥でしゃがんでる、大きな背中に用があるのだ。
 
「ガンテツさん、こんばんは」
 
タイアの融け具合を確認していたガンテツが、その声にこちらを見る。
それから、屈託なくにっこりと笑って片手を上げる。
 
イズモより頭一つ大きく、ガッシリとした堂々たる体格。
短く刈り込んだ、スキンヘッドに近い坊主頭。
見た目は少し怖いが、笑顔がやけに優しい。
 
初めて出会った時、この笑顔にイッパツでやられてしまった。
以来、イズモはガンテツになついている。
 
「どうしたイズモ、シケたツラして。女王にやられたのか?」
「ええ、ついていけるかと思った矢先に、あっさり斬られました」
「ははは、まあ仕方ねぇさ。だからこそ、女王なんだし」
 
笑うガンテツに、イズモは悔しそうな顔で肩をすくめる。
 
「しっかし、なんであんなに、あっさりイかれちゃうんすかねぇ」
「クローズドサーキット(レース場)なら、そこまで差は開かないはずだ」
「そんなもんですかね」
「要するにメリハリの問題だよ」
 
ガンテツはニヤっと笑って、説明し始めた。
 
「公道でやるのは、サーキットでタイムを削るのとはだいぶ違う」
「ええ、コンマ何秒の差なんて、クルマに引っかかったらチャラですしね」
「それに公道じゃ、ずーっと全速全開では走れない」
 
ガンテツの言葉に興味を覚えたイズモは、身を乗り出して話を聞く。
 
「女王は相手の苦手なポイントを見きわめるのが、やたら早いんだ」
「苦手なポイント?」
「高速カーブが苦手とか、四輪をすり抜けるのが苦手とか、さ」
「ああ、なるほど」
 
そう言えば自分も、ちょっと苦手なカーブでやられた。
 
「流して走り、苦手なポイントでいきなり全速。するとその速度差で……」
「一気に差がひらくってことですか! なるほど!」
「もっとも、トータルで速いからこそ、そんなことが出来るんだけどな」
「まあ結局は、地力の違いなんでしょうけどねぇ」
 
ふたりは笑いながら、女王の姿を目で追う。
彼女は友人に囲まれて、なにごとか熱心に話し込んでいた。
女王に惹かれる、あるいは崇拝する者達にとって、彼女は絶対者だ。
 
夜のパーキングに集まって、同じ速度域を共有するものたち。
彼らと話すこんな時間を、イズモはとても愛していた。
そしてそれは、この場にいる全員の気持ちでもある。
 
 
 
「あのひとって、やっぱ華家の人間なんですかねぇ」
 
ぼんやりと、女王の姿を眺めながら。
イズモがぼそりと、ひとりごとのようにつぶやく。
するとガンテツは、こちらを向いて首をかしげた。
 
「かもしれんが、それが?」
 
その視線には、少しばかりの非難がこめられている。
 
自分たちのやっていることは非合法で、みなひとしく違反者だ。
だからこそ、ここは昼間の世界とは違う。
所属、身分、家柄すべて関係なく、ここでは平等だ。
 
名は、『おたがいを認識するための記号』でしかない。
 
家名など、この夜の世界では何ほどの意味ももたない。
ここへ集まるものたちは、事あるごとにそう主張する。
もちろんイズモも、そんなのが好きだからこそ、この場所にいるのだ。
 
「いや、そういう意味じゃなくて」
 
あわてて言葉をにごすが、ガンテツは容赦なくするどい視線を送ってくる。
 
いけない。このまま黙っていたら、ガンテツに誤解されてしまう。
本当はずっと黙っていようと思ったことだが、うちあけてしまおう。
ガンテツなら大丈夫なはずだ。
 
イズモはそれでもだいぶ迷ってから意を決した。
 
「ガンテツさん、俺の姓は三輪です。三輪は酒神に仕える……」
 
「ああ……なるほど。おまえも華家なのか」
 
ガンテツはうなずいて、表情をゆるめた。
 
華家にあこがれたり、逆に華家を嫌う者は多い。
だから華家を前にすると、醜い人間関係になる場合がある。
媚びへつらったり、逆に意地悪をしたりといった話だ。
 
聖域であるこの場所に、そんなものを持ち込んで欲しくない。
そんな思いが、ガンテツに、イズモをにらませた。
しかし、イズモが華家の者だというなら、話は違ってくるのだ。
 
 
 
華家は、皇家=『神』にのみ仕(つか)える。
 
神は傍流をふくめても、百柱(はしら:神々を数える単位)に満たない。
そのすべてが神宮に住んでいて、皇務以外で衆目にさらされることはない。
そして華家以外の人間と直接かかわることも、ほとんどない。
 
神々の言葉を聞き、神々の意向を人々に伝える。
 
この大切な役目は、つまり、華家にのみ許された特権なのだった。
華家には、それぞれ「仕える神」があり、「統(す)べる分野」がある。
そして、それぞれの統べる分野に関して、他家の干渉を決して許さない。
 
だから華家同士は基本的に、皇務でさえ直接的な交友を持たない。
 
必要な情報交換は書面や通信、あるいは下位の者を通じて行われる。
生活空間も離れているから、プライベートで接触することはまずありえない。
極端な話、入った店に他の華家がいたら、きびすを返して出てゆくほどだ。
 
もし女王が華家のものなら。
イズモとしては警戒しておくに越したことはないのである。
ガンテツは納得すると、いたずらっぽい表情でイズモを見た。
 
「神官なのか……見えねぇな。もちっと重厚な感じかと思ってたよ」
「当主じゃありませんからね。のんきな次男坊ですよ」
「酒神に仕え、酒を司(つかさど)る……か。あれ、おまえ酒のめたっけ?」
「呑めますけど、あんまり好きじゃないです」
 
苦笑しながらイズモは、思いがけない心地よさを感じていた。
大好きなガンテツは、自分が華家だと知っても眉ひとつ動かさない。
それどころか、今までとまったく同じように接してくれた。
 
それはおそらく彼の気づかいだろう。
その気づかいがイズモには、たまらなく嬉しかった。
 
華家とバレたら、ここには居られないかも知れない。
 
イズモはいつも、そんな風に感じていた。
関係ないと口では言いながら。
華家を前にしたとたん、おどろくほど変わってしまう人々。
 
そんな姿を、何度も目の当たりにしてきたのだ。
いつの間にかイズモは、神官の家に生まれたことを忌むようになっていた。
だからこそ『走りだけ』という、この平等な場所と時間を愛したのである。
 
「俺ぁ気にしねぇが、まあ、聞かれねぇ限りは黙ってた方がいいだろうよ」
 
イズモはうなずくと、あらためてガンテツへの敬意を深くした。
 
 
 
「明日、忙しいんだ。だから今日は、最後にちょっと走って、流れ解散ね?」
 
女王の言葉に、その場の全員がうなずいて走り始めた。
モータサイクルはイズモやガンテツを含め7台。
そのほかにイズモらとは別口で、オートモビルが数台。
 
前を走る女王が速度を抑えているため、彼らは列になって走っている。
さすがにこの時間ともなると、一般車はあまり走っていない。
イズモたちと同じ夜棲だけが、圧倒的な速度で闇を切り裂いてゆく。
 
皇都環状線を一周したあと、女王は皇湾線へ出た。
環状線の複雑なレイアウトに比べ、皇湾線のカーブはゆるやかである。
当然ながら、平均速度はぐんと上がってゆく。
 
列になっていたモータサイクルがバラけ始めた。
彼らはいつも、だいたい速い順に並んでいる。
なので、面白いほど順番に、後ろから離されてゆく。
 
皇湾線を半分走ったところで、残る台数は三台。
女王とガンテツ、その後ろにイズモだけ。
 
さらに速度が上がる。
公定速度の2.5倍から、直線では3倍を超えてくる。
 
ビリビリと空気を切り裂きながら。
ライトに照らされて浮かび上がった路面をにらみつける。
道路がまるで黒い激流のように、うしろへ流れてゆく。
 
路面のギャップを拾って、車体がゆらりと怪しく揺れた。
が、アクセルは戻さない。
急激なアクセルオフは、車体の挙動を乱す。
 
速度はすでに、狂ってると言っていい領域だ。
しかし、誰の表情も冷静で、狂気とは正反対に見える。
 
大きく曲がりこんだカーブに吸い込まれそうになりながら。
イズモはいつしか、口元に微笑を浮かべていた。
 
(おそらく、ガンテツや女王も同じだろう)
 
そう思うとふたりの背中がやけに愛(いと)しく感じられる。
愛でもなく、友情でもなく、仲間意識でさえない。
強いて言うなら『共犯者の連帯感』が、三台を包んでいるように感じる。
 
この瞬間が、イズモはたまらなく好きだった。
 
 
 
と。
 
合流に一台のオートモビルが姿を見せた。
 
夜棲の乗り物では決してありえない、ふわふわとした挙動の高級車。
イズモらの駆る野生獣のようなマシンと比べると、もっさりとした家畜だ
大柄のモビルは、ウインカーを点滅させ、のんびり合流してくる。
 
前をゆく女王が、その横をズバっと抜いた。ガンテツが続いて行く。
 
そこで大柄のモビルは、急に車線変更した。
イズモは急ブレーキをかけ、速度を落とす。
帝都高速の複雑な道に不慣れで、案内を見てあわてたのだろうか。
 
「それにしても間一髪だ」
 
やれやれと思うイズモの前で、モビルは元の車線に戻った。
そこで空いた車線を抜けようと、全開加速した、その時。
今度は明らかな意志を持って、イズモへ車体を寄せてきた。
 
「うわっ!」
 
ブレーキを握ったイズモは追突を嫌って、モビルと壁の間に逃げ込む。
向こうはそれでも、寄せてくるのをやめない。
完全に、こちらを潰す気だ。
 
ごりん! がりがりがりっ!
 
車体が接触し、次の瞬間、今度は壁に接触
まるでピンボ−ルだ。
四輪と壁の間に挟まれたイズモは、そのまましばらく滑走し。
 
がしゃん!
 
多少は減速していたが、それでも元の速度が速度である。
転倒したイズモは、そのまま数百メートルほど転がった。
転がりながら、やけに冷静な気分で、小さくつぶやく。
 
「うっわ、俺、死ぬのかな?」
 
そして、ブラックアウト。
 
 
第二話へ続く