笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

うたひめ

 
「ここはもう少し抑えて、この先で盛り上げないと」
 
ヒロミの言葉に、あたしはちょっと違和感を感じる。
いや、その演出に文句はないんだけど、彼女の言い回し。
なんだかカリカリと怒ってるみたいで、気に障る。
 
とは言え、彼女は「うたひめ」の筆頭で、演出の担当官でもある。
 
歌を歌うときも、詩(うた)を吟(うた)うときも、歌留多(かるた)会のときも、うたひめとしての「おつとめ」があるときは、彼女の指示と演出で行なわれる。それをするだけの実力を、彼女は備えている。
口を挟みたければ、あたしが実力をあげるしかない。
 
と、もちろんこれはタテマエで、本音はみんなイラっとしてる。
ここ最近、ヒロミの情緒がひどく不安定で、うたひめのみんなは、それに引っ掻き回されているのだ。皇都の歌会で歌うことを許されている、我々「今代七歌仙」の面々は、それぞれ実力が拮抗してると思ってるから、特に。
それでも、面と向かって意見を言うことは難しい。
 
彼女に何か言える存在があるとしたら、それは二種類だけ。
 
ひとつは「古歌仙」さまたち。
うたひめを引退して、後進の指導についた彼女たちなら、意見を言えない事はない。けれど、それもあくまで指導や助言として。最終的な決定権は、「今代(現在)」の「うたひめ筆頭」であるヒロミにある。
たとえ国の最高責任者、守護(しゅご)さまだって命令はできない。
 
それくらい、歌仙の筆頭と言う地位は、高く重いのだ。
  
そして、口を出せるもうひとつの存在は、もちろん、歌神(かしん)さま。
わが国の歌神にして、皇都三歌神の筆頭でもあらせられる、柿本さま。
その一族ならこれはもう、お言葉を返すことすら許されない。
 
下知(げち:命令)にただ、従うのみだ。
 
もっとも、歌神さまからのお言葉なんて、現在ではほとんどない。
あったとしても、神事的な段取りなんかの話であって。
うたひめの歌の演出に口を挟まれるなどありえない。
 
というわけで私たちは、ヒロミの言葉に従うよりないわけだ。
 
 
 
「ヒロミさん、なにかお悩みでも?」
 
守護さまの御前で開かれる、春の歌会。
その演目の打ち合わせをしているとき、アケミが口を開いた。
ヒロミの態度が、ついに我慢できなくなったのだろう。
 
「アケミさん、それはどういう意味です?」
「いえ、少しお疲れのようだから」
「そう見えます? ねえ、カズエさんもそう見えますか?」
 
いきなり話を振られて、あたしは思わず首をすくめる。
どう答えても面倒な話になりそうだと、辟易(へきえき)しながら。
それでも、せっかく筆頭に物を言える機会だから、思い切ってみる。
 
「あたし、いえ、私に聞かれたのは、きっと七歌仙の中でいちばんハッキリものを言うからでしょう? ですから、お叱りを覚悟でご無礼をいたします。ヒロミさんは確かに、お疲れのようですし、イライラなさって見えます」
 
あたしの、「見えます」と言う言葉の余韻が。
しん、と静まった歌姫殿(うたひめでん)の稽古場に響く。
しばらく沈黙が続き、やがて、ヒロミが口を開いた。
 
「……そうですか……確かに、そうかも知れません」
 
七歌仙の中でも、ヒロミとあたしは気が強い方だ。
そのヒロミにものを言ったのだから、盛大な反撃が襲ってくるものと覚悟していたあたしは、ヒロミがあっけなくうなずいたので、肩透かしを食ってしまった。ポカンと呆気に取られていると、ヒロミは寂しそうに笑う。
そして、驚くほど気落ちした顔で、小さく話し始めた。
 
「みなさん、ごめんなさい。実は私、ひと月ほど前から、打ちのめされ続けてます。本当のことを言えば歌仙の名を捨ててしまいたい、いえ、うたひめをやめて仕舞いたいほど。筆頭のおつとめも、今は苦痛でしかなくて」
 
あまりの告白に、他の六人は言葉を失ってしまう。
 
筆頭の座はうたひめの誰もが望むものだ。
そしてしかし、望んで得られるものではない。
先代から筆頭に選ばれたとき、ヒロミは声をあげて喜んだ。
 
その彼女が、筆頭どころかうたひめをやめたいとまで言うのだ。
ウソや冗談でもありえないはずだった言葉に、みんな息を呑む。
するとヒロミは、自嘲気味に笑って、静かに下を向いた。
 
「ヒロミさん、いったいナニがあったんです?」
 
あたしが問うと、ヒロミは顔を上げてこちらを見た。
向こうが透けてしまいそうな、霞のように儚(はかな)げな。
透明な表情で、彼女は話し始めた。
 
 
 
深夜1時、雅楽殿(ががくでん)の裏庭。
たくさんの桜が、板塀にそって咲き誇っている。
どれも相当な樹齢を重ねた古木だ。
 
その桜と板塀の間に、あたしたち七人はこっそり隠れている。
 
貴重な楽器や高価なものは、平時の雅楽殿には置いてない。
侘びた花刺しや古式刺繍の座布団なども、好事家には貴重品かもしれないが、神域の品はどれも出自がしっかりしてるので、盗んでもお金には換えられない。だからだろうけど、夜の雅楽殿は警備されない。
もちろん、見つかれば怒られるだろうけれど。
 
ヒロミの話に半信半疑だったあたしたちは、真偽を確かめに来た。
 
彼女の話によれば、深夜の雅楽殿に時々、神様が現れるという。
歌神、柿本さまのお身内らしいと言うその神様は、夜の雅楽殿で歌をお歌いになられるそうだ。そして、ある日偶然、その歌を聴いたヒロミは、自信を打ち砕かれ、情緒不安定になった。
そんな話をされれば、聴いてみたいと思うのは当然だろう。
 
あたしたちは、うたひめの上位7人、七歌仙なのだから。
 
静かに息をひそめながら待っていると、満月が雲に隠れる。
あたりがさぁっと暗くなり、そよりと春の風がほほを撫でてゆく。
みな思わず月を見上げ、それから視線を雅楽殿に戻す。
 
と、何もなかった雅楽殿の外廊下に、いつの間にか影が立っていた。
 
息を呑んだあたしたちは、固まったままその影を見つめた。
 
 
 
影はゆっくりと動いて、外廊下の月明かりが当たる部分へやってきた。
同時に、雲が風に流されて、満月の明かりが差し込んでくる。
すると、ひょうと風が鳴いて、桜の花びらが雪のように舞った。
 
幻想的な花吹雪の中にぽつり、神様が月を見つめていた。
 
長い長い黒髪をまっすぐ背中へたらし、その上に立て烏帽子。
真っ白な直垂(ひたたれ)の下には、うす紫のお着物をお召しになり。
細い首から尖ったあごへかけての線が、なんとも雅(みやび)で美しい。
 
背はあたしより低いだろう、全体の線も華奢で、触れたら壊れそう。
月明かりに浮かぶお顔は色白で、切れ長の目は大きく優しい。
すべては可愛いらしい、少年のものだった。
 
どうやら、お子様の神様のようだ。
 
「こちらへいらっしゃい」
 
声変わりしていない、子供のお声が聞こえてくる。
雷に打たれたように、その場に立ち竦(すく)んだあたしたちに。
神様はまた、「いらっしゃい」とおっしゃった。
 
あたし達は桜の後ろから、ぞろぞろと出て行った。
みんなバツの悪さと、美しい神様への憧憬が半々といった顔だ。
もちろん、あたしも同じ顔をしてるんだろう。
 
「も、申し訳ございません」
 
最初に我に返ったヒロミが、あわててその場に平伏する。
あたしたちも続いて平伏し、口々に失礼を詫びた。
すると神様は、優しい子供のお声で、「お立ちなさい」と告げる。
 
「着物が汚れてしまいますよ」
「は、はい。申し訳ございません」
 
みんな慌てて立ち上がり、着物に着いた土や桜の花びらを払う。
神様はその間、外廊下の上からあたしたちを見つめ、微笑んでいらした。
誰も言葉を発せず、神様の前でただ立ち尽くしている。
 
みなが固まってもじもじする中、ヒロミが意を決して話し出した。
本当は神様に対して、直答(直接の会話)は避けなきゃならない。
だけど見る限り御付の人はいないようだし、誰かが話さなければならない。
 
こういうところは、さすが筆頭だなぁと感心する。
 
「私達、神様のお歌を聴きたくて、忍び込んでしまいました」
「ああ、よくその桜の陰にいらしたのは、貴女(あなた)でしたか」
「は、はい。ご無礼、まことに申し訳ございません」
「歌を聴きに来たというと、あなた達はもしかして、うたひめなのかな?」
 
神様のお言葉に、あたし達はぶんぶんと首を縦に振る。
ご飯のとき、拍手を打って神様にお祈りする。
そのくらいしか関係のなかった相手が、今、目の前にいるのだ。
 
しかも、あたし達うたひめの神、音楽を統べる歌神の一柱(はしら)が。
 
「春は、ここの月と桜が一番美しい」
 
神様はそう仰ると、満月を仰ぎ見られる。
あたし達も一緒になって、月を眺めた。
ときどき宙に桜が舞い、うっとりするような美しさだ。
 
 
 
と。
 
あまざかる〜ひなのながぢをこいくれば〜
 
細く、甘く、透明な声が、ちいさく夜を震(ふる)わせはじめた。
一拍おいて、それが神様の歌声だと気づき、あたしの身体も震えだす。
たしか皇家柿本に伝わる古い歌だと、頭の一部、冷めたところが考える。
 
だが心と身体は、もう、そんな事など、まるでどうでもよくなっていた。
 
静かにはじまった古歌は、新しく付けられた調べに乗り。
歌は夜の風と月の明かりを吸って、段々と成長してゆく。
いつの間にか、神様の声は大きく朗々(ろうろう)と響きわたっている。
 
声にあわせるかのように、桜の花びらが舞い踊る。
 
そこだけ、時が切り取られたかのように。
そこだけ、世界があやふやに霞んでしまうように。
歌神さまのつむぐ歌は、あたし達を震わせた。
 
耳ではなく、身体ぜんぶ。
歌に包まれ、歌が沁(し)み渡り、歌が駆けめぐる。
七人みなが陶然となって、歌に浸(ひた)り、喜びに震える。
 
いつの間にか、涙があふれ出していた。
 
 
 
やがて、また細く小さくなった声は、朝露のように消えてゆき。
 
「とても楽しい夜でした」
 
神様がそう仰(おっしゃ)ってようやく、あたしたちは我に返る。
何人かは腰が抜けて、その場にしゃがみこんでしまった。
あたしは涙をぬぐって話しかけようとしたが、声が出てこない。
 
と。
 
「帰ります」
 
歌神さまが仰った瞬間、ふいに数人の人影が現れた。
 
驚いたあたし達が唖然としてるうちに、人影は神様を囲むようにして立つ。
神様は雅楽殿の廊下を、静々と帰ってゆかれる。
どこにこれだけと思うほどの人が、その前後左右を守る。
 
そして、その中のひとりが、あたし達の前に立った。
 
「若さまのお歌を聴きたい気持ちは、私にもよくわかります。ですが、こんなに大人数では、我々、守り役(もりやく)が困ります。七歌仙さまたちゆえお許ししましたが、出来ればこれ切りにしていただきたい」
 
そういうと返事も待たず、影は雅楽殿御の中へと消えた。
取り残されたあたちたちは、いつまでもその場に立ち尽くしていた。
夜風が花びらを舞い上げ、月はいよいよ明るく輝いていた。
 
 
 
この夜を境に、ヒロミの情緒不安定は収まった。
みなと想いを共有したことで、安心したのだろう。確かに、あたしだってあの歌をひとりで聴いてたら、自信をなくすどころか発狂していたかもしれない。そう考えれば、ヒロミはがんばったと言えるほどだ。
その代わり、ヒロミの憂鬱は、七歌仙の全員に伝播してしまった。
 
歌姫殿での稽古にも、なかなか身が入らない。
みんな一様に自信を失くし、あの夜を反芻するばかり。
目を閉じれば、耳を澄ませば、浮かんでくるのはいつも。
 
あの夜の幻想的な風景と、奇跡のような歌神さまの歌声。
 
あれが「歌」なら、あたしたちのは何だと言うのだ。
 
持って生まれた声だけでも羨ましい。
なのに歌神さまの歌は、才だけでなく、高度な技術に裏打ちされていた。帝国に属するすべての国の中で、もっとも楽曲的文化に優れると言われるわが国。そのうたひめの中で、さらに選ばれた七人があたしたちだ。
だからこそ、その技術がわかってしまうのだ。
 
「神と自分を比す必要はありません」
 
雅楽殿に忍び込んだことを、さんざん怒られたあと。
古歌仙さまたちは、そう言って慰めてくれたが、あたし達の心は晴れず。
悶々としながら、御前歌会の準備を進めていた。
 
「このままじゃ、歌えない!」
 
そう叫んだミズキが、両手で顔を覆(おお)ったまま崩れ落ちる。
あの時、最初に崩れ落ちた彼女は、一番、大きく傷ついていたが。
大なり小なり、みんな傷ついていたのは、ミズキと同じだった。
 
だれも慰めの言葉をかけられず、一緒になって座り込んでしまう。
 
歌は、あたし達の自己表現だった。
歌は、世界と対峙する支えであり背骨だった。
歌は、生きている意味だった。
 
歌姫殿に、いつしか、みなのすすり泣きが響いていた。
 
やがてそれは嗚咽(おえつ)になり、ついには慟哭(どうこく)へ変わる。
 
防音された歌姫殿の稽古場で、あたしたちは泣き続けた。
 
「もういちど、歌神さまの歌を聞きたい」
 
やがて泣き止んだあたし達の、誰からともなく、そんな声が出た。
出たときにはすでに、みんなの心はひとつになっていた。
何がどうなるかわからないが、今はただ、もう一度聞きたい。
 
今度は古歌仙さまに頼み込んで、正式にお許しをもらった。
とは言え、歌神さまにお願いするわけにはゆかない。歌神さまが、また雅楽殿にいらっしゃるそのときを、守り役の方に教えていただいて、その場へ入れていただけるよう、取り計らってもらったのだ。
それから数日して、古歌仙さまから連絡をもらった。
 
 
 
ある晴れた月の夜、あたし達はまた、雅楽殿にいた。
緋毛氈を敷かれた上に正座した七人は、歌神さまの登場を待った。
だれひとり身じろぎもせず、ただ、静かに待っていた。
 
「やあ、いい夜ですね」
 
歌神さまが、今日は目に見えるお供を連れてやってきた。
月明かりに浮かんだお顔は、前にも増して美しく見えた。
歌神さまは優しく微笑むと、ふいに歌いだした。
 
そして、天国のような、地獄のような時間が始まった。
 
この間より落ち着いてるし、経験済みだから衝撃も少ない。
そのぶん、歌神さまのお歌を、より明確に聴くことが出来る。
歌は美しく、力強く、奔放でいて、超絶な技巧でもあった。
 
あたしの身体は歌に喜び。
あたしの頭は歌に苦しむ。
 
七人は泣き笑いしながら、感動と絶望を味わった。
 
やがて、お歌が終わり。
 
歌神さまは穏やかに微笑まれながら、お帰りになられる。
あたしたちは緋毛氈の上で呆けたまま、余韻を反芻していた。
何かを期待して聴いてはみたけれど、結果はこのとおり。
 
ただ、打ちのめされて終わった。
 
するとそこへ、先日、我々を叱った守り役の方が来る。
黒い上下の輪郭が、夜に融けているため、この世ならぬもののようだ。
彼は穏やかな表情で、あたし達に話しかけてきた。
 
「うたひめ様のお歌も、聞かせていただけませんか?」
 
全員が鉛を飲んだような顔をして固まる。
あのお歌のあとで歌えとは、ずいぶん意地悪な話だ。
七人の誰もが、沈黙したまま下をむく。
 
すると彼は、月を眺めながら独り言のようにつぶやいた。
 
「歌神さまのお歌は、いつ聴いてもすばらしい」
 
だから、そのあとに歌うなんて出来ないんですよ!
心の中ではそう毒づくが、誰も何も答えない。
彼は構わずに、たんたんと語ってゆく。
 
「あのお方とお歌だけで、ひとつの完璧な世界が構築されている。それはとても美しくて、涙が出るほどですけど、なんと言うか、神の歌は私達に向いてないんです。それがちょっと哀しいんですよ」
「私達に向いてない? どういうことです?」
「歌神さまの歌は、歌神さまだけで、ひとつの世界なんです」
 
思わず聞き返したあたしへ、彼は真摯な表情で答えた。
 
「そこに、私らの入る余地がないんですよ。一緒に歌うとか、いや、ただ聞いてるだけでも、ジャマに思えてしまう。歌神さまが美しいと感じられた景色とか自然。それと歌神さま自身。それ以外は異分子なんです」
「…………」
「神様は自然の一部ですから当然かもしれませんが、聞くものに対する心というか、そもそも、聞き手そのものを想定してないというか。歌神さまの歌は、私達を見てないんです。だから哀しい」
 
言われてみれば、確かに、歌神さまは気ままに歌うだけだ。
超絶な技巧も、聴くものへの感動を目的としているのではなく、より高みを目指した結果なのだろう。神は自然の一部。それはこの国の、いや、帝国全体の認識だ。だから当たり前だと思っていた。でも……
 
「だからね。私はぜひ、うたひめさまの歌が聞きたいんです。私達と同じ、人間のうたひめさまが、人間に向かって歌ってくださる、心のこもった歌を。聞かせていただけませんか?」
 
ふと気づくといつのまにか、守り役の方々が数人、集まっていた。
みな、期待のこもった熱いまなざしで、あたし達を見つめている。
こそばゆいような、誇らしいような、そんな気持ちがわいてくる。
 
と、ヒロミがゆっくり立ち上がった。
 
うつそみの〜ひとにあるわれや〜
 
皇家の遠い祖先、神代(かみよ)の昔の皇女さまがお歌いになったと言われる、弟への、あるいは恋人への、もしくはその両方だった神さまへの想い歌。ヒロミが選んで歌いだしたのは、そんな歌だった。
最初のひと節で、あたしたちの心は決まり。
ふた節目にはあたしとアケミが、最後にはみなが続く。
 
ほとんど散ってしまった葉桜に、月光がきらりと映え。
 
歌神さまの歌を初めて聴いた、あの夜からの懊悩(おうのう)。
あたしたちは、久しぶりにそれを忘れて、心から歌った。
恋歌は夜風に乗って雅楽殿の庭に響き、誰よりもあたし達自身を癒した。
 
歌い終わり、守り役さんたちの喝采に、ほほを染めながら。
 
あたし達はこの夜、ようやく自信を取り戻した。
 
 
 
御前歌会の当日。
 
会はつつがなく進行し、ついにあたし達の出番が来る。
七歌仙のみなは、古歌仙さまに見立ててもらった着物を着て、興奮に顔を上気させている。壇上へ上がって守護さまに挨拶し、ヒロミが小さな声で歌い始めた。少しづつ音量を上げ、あたし達が続く。
歌は、あの時うたった恋歌だ。
 
本来、こういう正式な会のときは、恋歌は選ばない。
神々をたたえる歌や、景色を詠んだ歌、古い歌が好まれる。
この恋歌はとても古いけれど、それでも恋歌は恋歌だ。
 
本当なら、誰かから静止がかかる可能性もある。
 
それでもあたし達はこれが歌いたかった。
古歌仙さまたちも経緯を知っているので、黙認してくださった。
それに、上からも「委細構わず」のお言葉があったらしい。
 
その話を聞いてなんとなく、あの守り役さんの顔が浮かんだ。
 
今までのどんな時よりも、心をこめて歌った。
まるで聴いてる人々に恋しているかのように。
いや、歌っている間、あたしたちは皆に恋をしていた。
 
最後の節が消え入るように終わった瞬間。
 
うわあぁぁぁぁっ!
 
満場の拍手に、あたしたちは呆然と立っていた。
全身に、達成感があふれる。
仲間の誰もが、きらきら美しい顔をしていた。
 
 
 
ほほを染めながら、七人が壇を降りてくると。
下で迎えてくれたのは、例の守り役さんだった。
満面の笑みを浮かべながら、拍手してくれている。
 
「いらしてくださったんですか!」
 
皆が口々に喜びの声を上げる。
それも当然、彼はあたしたち今代七歌仙の恩人なのだ。
守り役さんは、ニコニコしながら、私達に囲まれ照れていた。
 
「いやぁ、今日は皆さん、一段とお美しい」
「ありがとうございます。歌はどうでした?」
「最高でしたよ。思わず恋しそうになるほど」
 
彼は少し顔を赤らめながら、何度もうなずいた。
正直、あたしはこのとき、もう恋をしていたかもしれない。
たぶん、あたしだけじゃなく、何人かは……
 
「今日、お仕事はお休みなんですの?」
 
アケミが、ほほを桜色に染めながら聞いた。
むう、もしかしてこいつも、彼に恋しちゃった?
そんなことを考えてると、彼は驚くべきことを口にした。
 
「いいえ、仕事中ですよ。若様がいらしてるんです」
 
その言葉とほぼ同時に、向こうの方で人々が沸いた。
やがて人々の囲いを抜けて、別の守り役たちに守られながら。
歌神さまが、そのお姿をお見せになった。
 
明るい陽の光の下でみる歌神さまは、確かにお子様なのだが。
それでも、とても神々しく(あたりまえだ)、お美しかった。
そのまま壇上へ上がり、守護さまのご挨拶を受けている。
 
皇家が公の場に現れるのは珍しいことだから、みな、大騒ぎだ。
 
歌神さまは守護さまと少し話をされたあと。
なんと壇上を降りて、あたし達の前にいらっしゃった。
あたしらを含めたその場の全員が、みな、慌てて平伏する。
 
「とても素敵な歌でした。熱く、優しい」
 
夜の雅楽殿の庭ならともかく、公の場で直答は出来ない。
あたしたちは平伏したまま、守り役さんに向かって礼を言う。
すると歌神さまは、「刺激されました」と小さく笑った。
 
どういうことかと、伏せた姿勢のまま考えてると。
 
ふいに、朗々とした歌声が聞こえてきた。
 
いつの間にか壇上に戻った、歌神さまが歌いだしたのだ。
 
それも、あろうことか「恋歌」を。
 
 
 
古い神様が、人間のために、他の神様と争う。
そのうち、ひとりの若い娘と恋をする。
そのことで、神々の世界から追放されてしまう。
 
そんな昔の恋歌を、歌神さまは美しい声で歌う。
 
特に人間の娘に恋をする下りは圧巻だった。
人間なら恋など知らないだろうというほどお若い、いや、幼いお姿からは信じられないほど、切なく、苦しく、それでも恋の喜びにあふれる情景が、あたしの心に浮かんでくる。いや、そんな生易しいものじゃない。
ふと気を抜いたら、目のまえで恋を語られている錯覚に陥(おちい)る。
 
いつの間にか平伏をやめたみなは、誰もその場に立ち尽くし。
歌神さまの歌に聞き惚れて、ほほを上気させている。
特に女性はみな、瞳を潤ませながら歌神さまのお姿を見つめている。
 
ヒロミも、アケミも、ミズキも、残りの三人も。
 
もちろんあたしも聞き惚れながら、ふと横を見た。
すると、守り役さんがイタズラっぽい微笑を浮かべている。
その表情を見た瞬間、あたしは事のからくりに気づいた。
 
お歌をジャマしないように、そうっと小さな声を出す。
 
「歌神さまの歌が自分達を見てないなんて、よく言いますね。このお歌を聞いていればわかります。見てないどころか、歌神さまは人間が大好きじゃないですか。暖かいお気持ちが伝わってきますもの」
「そんなこと、言いましたっけ?」
「あたしたちに自信を取り戻させるために、ああ言ってくださった?」
「うたひめさまの歌が聞きたかっただけですよ」
 
守り役さんは、とぼけた表情であたしを見た。
とたんに心臓の鼓動が、どきどきと早くなる。
顔が赤らむのを自覚しながら、あたしは視線をそらした。
 
壇上では、歌神さまのお歌が佳境を迎えている。
神々の世界から追放され、それでも娘を想う場面だ。
みんな涙を流しながら、お歌に聞き惚れている。
 
あたしは守り役さんの傍に近づいて、耳元でささやいた。
 
「本当に、ありがとうございました」
 
すると守り役さん、にっこりと素敵な笑顔で微笑んだ。
あたしは今度こそ完全に、恋に落ちたことを自覚する。
歌神さまの歌よりも、お姿よりも、守り役さんから目を離せない。
 
壇上では歌神さまが、世界中をとりこにしそうな恋歌を歌ってる。
誰も彼もが、歌神さまに恋をしてしまいそうな、そんな力のある歌。
うたひめたちも皆、守り役さんを忘れて、歌神さまに魅入られてる。
 
だけど、神様の恋歌も、今のあたしには効果ないみたいだ。
 
 
 
/了