笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

母を送ってきました

 
(1)そのとき
 
2月19日の夜、母が77歳で他界しました。
 
一緒に住む実弟が見つけたときは、すでに事切れてたそうです。
弟は救急車を呼び、待ってる間に人工呼吸や心臓マッサージをしてくれたのですが、残念ながら間に合いませんでした。それから俺に連絡が来て、深夜2時すぎにバイクへまたがって実家へ。
 
入院などをしていたわけではないので、それからが大変でした。
一応、変死あつかいになり、警察で調書を取られるのです。
すべて終わって母と対面したときは、すでに夜が明けていました。
 
 
 
母は、「人に迷惑をかけるな」が口癖の人でした。
それは自分の息子達にも同じだったようです。
父親が他界したとき、四苦八苦する俺と弟の姿を見て、そのときから決めていたのでしょう。互助会で自分の葬儀費用を積み立てていてくれました。そして、その範囲で葬儀を済ませるようにと生前から言ってました。
 
「そんな心配より長生きしてくれよ、葬式メンドーだから」
 
などと、笑いながら言ったものです。
 
 
 
(2)葬儀
 
ウチの宗教といえば、母方は神道、父方は仏教でして。
普通は父方の宗教に合わせるのですが。
母は自分の葬儀を無宗教でやって欲しいと言ってました。
 
なので焼香の代わりに献花する、無宗教葬で送りました。
 
初めて無宗教葬というものに触れたのですが、いいものですね。
献花にしろ、棺に納める花にしろ、とにかく花がたくさんで。
花が大好きだった母には、最も似合った葬儀だったと思います。
 
光を失ってからはずっとしてなかった化粧をしていただき。
長病みしていないので、生前のふくよかな顔のまま。
たくさんの花に包まれて、仲のよかった人々に送られ。
 
母は幸せな最後を迎えられたと感じました。
 
 
 
(3)残されたもの
 
俺は25年も前に家を出たきりですが、弟は母と暮らしてました。
なくなった動揺は、弟の方がずっと強かったと思います。
母を葬儀場にあずけ、警察から帰って休憩してるとき。
 
「ふたりになっちまったなぁ」
 
どちらからともなく、そんな言葉が口をつきました。
 
父と母が出会い、俺と弟が生まれ、家族四人で生きてきて。
17年前に父が亡くなり、今回、母が亡くなり。
俺と弟は兄弟ふたりになりました。
 
だからどうこうと言う話ではなく。
「ふたりになったんだ」というその事実が、少し胸に響きました。
そして、いずれはどちらか独りになるんだ、という事実も同様に。
 
 
 
(4)そして
 
親が亡くなること。
 
それはいずれ必ず来ることですから、残念ではありますが諦観もあります。
むしろ、母より先に逝く親不孝をせずに済み、よかったとさえ思います。
胸にちょっとだけ開いた小さな穴は、いずれ埋まってゆくことでしょう。
 
弟や、友との語らいの中で。
 
 
 
父も母も、俺も弟も、湿っぽいのは嫌いです。
 
無事に母を送ることができ、思いを残すこともありません。
明日からは、今までどおりバカやって騒いで生きてゆきます。
キーボードを打つことが出来る間は、こうして駄文も垂れ流します。
 
だからもし、タイミングが合った時は。
 
単車の上で、焚き火のそばで、あるいはPCやスマホ画面の上で。
一緒に走ったり、バカな話をしたり、美味い酒を呑みながら笑いましょう。
生きている限り、生きていることに感謝しながら。
 
一緒に笑って生きましょう。
 
 
 
俺が愛するすべての人々と、俺を愛してくれるすべての人へ。