笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

イイワケ

イイワケが嫌いだ。
イイワケするくらいなら、それが例えどれだけ不当な評価でも、むしろ甘んじて受けたいと思うくらいに。と言うか、「不当な評価」と言うものは、実は存在しないのじゃないだろうか。
そもそも評価と言うものは、他人がするものだと思う。自分でするそれは、いくら客観的に見たつもりでも、「評価」足り得ない。
俺がどれだけ「こんな人間なんだ」と大声で叫んだって、世界中の人間が「いや、お前はこういう人間だ」と言えば、その方が正しいのだ。絶対的な正義なんてものがこの世にない以上、俺ひとりの意見より、そのほか大勢の言い分のほうが、客観的には正しい。
だから、イイワケってのは、主観的に見てそれがどれだけやむを得ない理由であったとしても、基本的にみっともない。少なくとも、俺の美学には反する。
イイワケの目的ってのは、他人の評価を変えたいと言う、ある意味ものすごく大それた、傲慢なものだ。それで得るものは正しい評価と言うよりは、自分に都合よく捻じ曲げた評価だとさえ、言っていいと思ってる。
俺は誰にどう評価されようとも、いまさら生き方を変えることはできない。だから、イイワケの必要がない。そして当然、誰かが俺の代わりにイイワケしてくれたりするのも嫌いだ。
飲んだくれてヒトの信頼を失おうとも、それは俺がやったことだ。
でたらめな生き方を否定されようとも、それは俺が好んでやっていることだ。
山を走るのが遅いだろうと言う単車で、それでも速く走ろうとして、結果的に遅いとしても、それも俺が好きでやってる、言わば酔狂なのだ。
すべての「俺が原因で起こった結果」に対して、俺はいつでもそれを受け入れる用意がある。誰かのせいになんてみっともないこと、死んだってするものか。
 
ただそれは、誤解を正さないと言うことではない。
誤解されたと感じたならば、まず、誤解していると思われる相手に対して、できるだけ客観的な(それでもこちら寄りの意見になってしまうだろうが)事実や、純粋な自分の意見を述べるにとどめる。
その上で、相手の判断にゆだねるしかないだろう。
「それは誤解だ、こう思ってくれ」なんて、虚しくて、みっともなくて、まともな神経をしていたら、とても言い出せる言葉ではないだろう? どう思おうと、それはその人物の勝手なのだから。
だいたいその前に、もしかしたら、誤解しているのは(自分の心の中も含めて)自分自身の方かもしれないのだ。ハタから見ている他人の方が、むしろ、俺自身のことを客観的に評価している可能性というのは、非常に高い。
だから、「俺はそうではなく、こう思っている」と言う意見を述べた後、黙って相手の評価を待てばいいと思うのだ。それで相手が俺への評価を下げたり、俺との関係を切るというのなら、それも仕方のないことだろう。
それより問題なのは、イイワケを続けているうちに、それを自分で信じ込んでしまうことだ。その方がよっぽど怖い。
人間ってのは、どうしたって自分に甘くなるから、イイワケしてるうちに罪悪感は消え、いつしかそれが自分の中で事実として定着してしまうことがある。
その方が、ヒトに誤解されるよりずっと怖い。
ところが、それでも俺は無意識にイイワケしているときがある。自分では事実を述べたつもりでも、後で思い返したらイイワケだったってなことが、時々だが、ある。
そんな時は、ハラワタが千切れそうなほど恥ずかしい。
だから、少なくとも意識できている部分でだけでも、俺は決してイイワケをしないで生きて行こうと思っている。なかなか難しいけれど、それでもイイワケして、それをイイワケだと指摘された時の恥ずかしさに比べれば、なんてことはない。
だからもし、これから俺がイイワケしてるなって感じたときは、遠慮なく指摘して欲しい。俺は顔を真っ赤にしてうつむきながら、「うん、そうだ。コレはイイワケだな」ってつぶやいて、謝るから。
 
って言う、ものすごい長文の。
 
これから俺が何かやらかして、開き直る際のイイワケ。