笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

モーターデストラクション(4)

 
第一話
第二話
第三話
 
 
「これはアレだな。いわゆる道に迷ったってヤツだな」
 
まったく見覚えのない十字路で、そう独り言ちると。
 
ライデンは、腰につけた防水布の物入れから、紙巻を一本取り出す。
燧(ひうち)で火をつけ、ゆっくりと薄荷(はっか)味の煙を吐き出した。
それから、あきらめたようにため息をつき、背嚢(はいのう)を下ろす。
 
「面倒がって地図を見ないと、余計に迷うんだよな。仕方ない」
 
紙巻を銜(くわ)えたまま、背嚢をほっくりかえし、地図を引っ張り出す。
ボロボロに使い込まれた地図は、今にもバラけそうな、まるで古文書だ。
鉄馬(うま)の傍らに腰掛けて、くたびれた地図を広げると。
 
またぷかりと煙を吐き出した。
 
大将を追って走り出したまではよかったのだが、その先がまずかった。
気が急(せ)いている時にありがちな失敗で、近道をするつもりが間違った道へ入ってしまい、そのまま勢いに任せて走るうち、まるっきり見たことのない場所へ出てしまったのである。
もっとも、ライデンはこういう事をよくやらかす。
 
この辺りにさほど詳しくない身では、道を探しなおすのもひと苦労だ。
地図とにらめっこしながら、戻るか先へ行くかと悩んでいると。
ふいに、横合いから声を掛けられた。
 
「道にまよったのか?」
 
低くしわがれた声に、地図から目を離して顔を上げると、男が立っていた。
整っているが、やけに生気のない顔をしている。長い髪をざんばらに垂らしてこちらを見る目は、感情の有無がわからない、まるで爬虫類のようだ。ライデンより頭ふたつ高い長身は、フガクほどもあるだろうか。
ただし肉量はずっと少なく、病的と言えるほどやせている。
細い身体にぴたりと沿った上衣は、黒く塗った動物の皮で出来ている。前が二重になっているその上衣を眺めながら、山猪の皮だろうか、それとも山羊だろうかとぼんやり考えつつ、ライデンはうなずいた。
 
「あ、ああ。西の国境へ行きたかったんだが」
「西の国境? それならまんざら間違ってもいない」
「へぇ、そうか、そらよかった! このまま行けばいいのかい?」
「この先を数キロ行くと分岐があるから、それを左だ」
 
その答えに、ライデンは怪訝な顔をして、男をじっと見つめた。
男が、「なんだ?」と表情で問うと、考えこむように首をひねる。
それから、「ふぅん」と小さくもらして、男へたずねた。
 
「近頃は、皇都を出てくるのが、流行(はや)ってるのかい?」
 
ギクリと表情を硬くした男は、値踏みするように相手を見る。
するとライデンは、肩をすくめてにやりと笑い、
「いや、詮索するつもりはねぇんだ」とだけ答えた。
 
ところが、男の方はそうも行かなかったのだろう、真剣な顔で問う。
 
「どうして判った? 俺が貴族に見えたわけじゃないだろう?」
「こっちじゃキロ……キロメトルだっけ? その単位は、あんま使わないよ」
「なるほど、度量衡は統一されてないんだったか。うっかりした」
「速度計には使われてるから、全然、ってわけでもねぇんだけどな」
 
 
 
この星のかつての支配層は、大昔、宇宙へ逃げてしまった。
「大脱出」と呼ばるそれは、現在では神話にさえ残っていない。
そして長い長い刻を経たのち、その子孫はまたここへ帰って来た。
 
彼らは「神」と名乗り、「皇家」としてふたたびこの世界を支配する。
 
支配される側、大脱出の際に残された人間たちは、一度、文明を失った。
わずかに残った文明、あるいは科学の残滓(ざんし)を拾い集め、野性をむき出した自然と戦い、なだめ、共存しながら、なんとか命をつなぎ。こちらも長い時間をかけて、ようやく文明と呼べるものを取り戻していた。
 
しかしそれは、「旧文明の発掘」に支えられた、いびつな発展だった。
 
土に還った過去の残骸から、文明を築くのである。
発展の速度は驚異的に速いものの、順番に発達するのではなく、ある日突然、新しい「製品」が掘り出される。着想から試作、試行錯誤を経て完成するのではなく、製品からさかのぼって「概念」を理解するのだ。
理解できない製品は、どんなに便利で高度なものでも打ち捨てられる。
 
その最たるものが、「電波通信」だろう。
下地はあるにもかかわらず、また皇都では当たり前に使われているにもかかわらず、ライデンたち外郭世界の住人は、無線技術を持っていない。全体的に、機械技術の水準に対して、電子や通信技術がひどく遅れている。
 
世界はいびつで、病んでいた。
 
そこへ新たに戻ってきた「皇家」。
 
彼らがさらに発達した文明を持ち込み、人類(の一部)を支配する。
小出しにされる彼らの便利な技術には、見知らぬ単位が使われていた。
便利なら使わない手はないから、人々はこの単位も使うようになる。
 
この世界の単位や技術が、色々と錯綜している、これがその理由だ。
 
 
 
ライデンは男に興味を持ったのか、にっこりと笑うと。
 
「詮索しないなんて言ったけど、こうなっちまうと、モノのついでに聞いてみたくなるな。ま、答えたくなきゃ、答えなくたっていいんだが、あんた、『家出』じゃないよな? となると『咎落(とがお)ち』かい?」
 
罪を犯して皇都から追放された者を、外郭世界では「咎落ち」と呼ぶ。
文字通り、「咎(とが)められ、都から落ちてきた」者という意味だ。
と言っても、それで特別、恐れられたり忌まれたりすることはない。
 
皇都での犯罪など、外郭世界では罪のうちに入らない場合も多いのだ。
 
「そうだ。向こうでちょっとした罪を犯して、こっちへ追放された」
「ま、咎落ちの方が、えらそうな貴族より話が通じるから、俺は嫌いじゃないけどな。まあ、何をやったのかは聞かねぇよ。俺に取っちゃ、道を教えてくれた恩人だしな。んじゃ、ありがとよ!」
 
言うだけ言って鉄馬にまたがったライデンを、男がさえぎった。
 
「ちょっと待ってくれ。少し話がしたいんだが、いいか?」
「悪りぃが急いでるんだ。ダチが問題起こしそうでさ。厄介なヤツなんだ」
 
大将が聞いたら、「キミに言われたくないよ」と言われそうなセリフを吐き。
鍵筒に刺さった鍵をひねって、確認灯が点滅したところで。
ライデンは、起動電動(起動用電気発動)の釦(ぼたん)を押した。
 
がしゅっ…………きゅきゅ……
 
っと一瞬、考え込むように起動電動が黙り込み。
 
ばるるん! どるっ、どるっ、どるっ……
 
液動(液燃発動)が元気な声を上げる。
 
「まて、『流行ってる』というのは? 他にも誰か、咎落ちがいるのか?」
「さあな、意味はねぇよ。なんとなくだ」
 
答える気のない適当な返事をして、ライデンは出力筒をひねる。
液動の排気音が高まると同時に、後輪を滑らせながら発進した。
道の両脇に見える森の木々が、後ろへ向かって飛んで行く。
 
ライデンはすぐに男のことを忘れ、鉄馬の操作に没頭した。
 
 
 
教わった分岐を左へ曲がると、道幅がだんだん狭くなってきた。
と、すぐに舗装が途切れて、土がむき出しになる。
もっとも、皇都ならともかく、外郭世界の、とくに山の中では珍しくもないことだから、悪路など気にもしないですっ飛ばしてゆく。後鏡(バックミラー)には鉄馬の蹴上げた土煙が映っている。
と、鏡の向こうに影が現れた。
 
「あれ? なんだありゃ? さっきの男か?」
 
濃い緑色にぬられた動輪(四輪車)の近づいてくる姿が、チラ見した後鏡に映っていた。角ばった車体は大将の動輪に似ていたが、その車両には屋根がない。前面にフチのついたガラスがあるだけだ。
ところどころ塗装がはげ、むき出しの鉄板が錆びている。
実用重視の無骨なその姿に、ライデンはにやりと笑う。
 
「ずいぶんゴツい動輪だな。ちょっとカッコいいじゃねぇか」
 
数瞬だけ鏡越しに動輪を観察し、出力筒をひねって開けた。
とたんに液動がうなりを上げ、後輪がずるずると滑る。
履ているタイアが、不整地には向いてない種類なのだ。
 
瞬間、前輪が大きめの石を踏んだ。
 
握っていた操棹(そうかん:ハンドル)が、ぶるっと大きく振られる。
車体が大きくよじれ転倒しそうになり、尻の穴がひゅっとすぼまる。
なんとか体勢を立て直したところで、どばっと冷や汗が噴き出した。
 
「あっぶねぇ。やっぱ不整地用みたいにはいかないな」
 
何気なく後鏡を見ると、件(くだん)の動輪は、大きく近づいてきている。
その姿にライデンは、ふと、違和感を覚えた。
操作しながら、何度かチラチラと後鏡を確認し、ようやく理由を知る。
 
「うわ、前輪からも土煙が上がってる! 四輪駆動か!」
 
となれば、不整地走行はお手の物だろう。
ライデンは気を引き締めると、もう、後鏡を見ないようにする。
操作に集中しなければ、とてもかなう相手ではない。
 
冷静に考えれば、別に敵でもなんでもないのだ。
停まって話をして、また走り出せば済むことである。
だが、このときのライデンは、すでに冷静さを失っていた。
 
「冗談じゃねぇ。動輪に負けてたまるかっつーんだ」
 
つまりは、そういうことである。
 
ライデンは改めて、座鞍の前半分へ身体を移動させた。
不整地走行ではその方が、車体を制御しやすい場合が多いからだ。
上半身を起こし、後輪の滑りに備えて腰をわずかに浮かせる。
 
そして、おもむろに出力筒を目いっぱい開けた。
 
ばららららららっ!
 
不意に強い力を与えられ、後輪が盛大に空転する。
巻き上げられた土ぼこりが立ちこめ、後鏡には何も映らない。
急激に加速した鉄馬は、でこぼこの路面に弾かれて暴れまくる。
 
段差に乗り上げ前輪を浮かし、後輪を取られて真横を向き。
 
それでもどうにか転ばず、ライデンは鉄馬を走らせる。
暴れる車体を精いっぱい押さえ込み、後鏡を見る余裕さえない。
ただ、追ってくる濃厚な気配だけが、背中をぐいぐいと押す。
 
「ぬう、こらなかなか厳しいな」
 
脂汗をかきながら、にやりと歯をむき出す。
 
 
 
「なんだって、あんなに必死で逃げるんだ、あの男は?」
 
長い髪を風に躍らせながら、緑の動輪に乗った男〜カイリは首をかしげた。
急いでいるとは言っていたが、だとしても飛ばし方が異常だ。
彼でなくても、「何かあるのでは?」と勘繰ってしまうだろう。
 
まさか、「ただ動輪に負けたくないから」という理由だとは、夢にも思わない。
 
「咎落ち」がいる可能性と言うのは、カイリにとって大きなニュースだった。
 
カイリは皇都で誘拐(未遂)事件を起こし、追われる身となった。
一緒に追われたジャコウと共に外郭世界へ逃げ込んで、そこで「教祖」と呼ばれる男と出会い、ちょっとした揉め事を起こす。その際、完膚なきまでに叩きのめされたふたりは、「教祖」のいる組織へ入った。
そこまでは良かったのだが、その先が気に食わない。
 
相棒のジャコウは、要領がよく、口のうまい人間だ。
得意の口八丁で「教祖」に取り入り、組織の仕事を色々と任され、いつの間にか「教祖」の取り巻きのひとりになった。誠意や優しさは持ち合わせていないが、人の弱点を突いたり、利欲で釣るのは得意なのである。
「教祖」はともかく、周りの西夷を操るなど、ジャコウには造作もない。
 
だが、カイリは他の連中と仲良くしたり、組んで仕事をするのを嫌った。
隙あらば他者を貶(おとし)め騙そうとする、西夷の性根が好きになれない。自分も悪党だから、悪だというのが気に入らないのではない。下卑たところ、卑屈なところ、小ずるいところがどうにも性に合わないのだ。
「悪党」として非情にはなれても、「小悪党」の卑屈さは我慢できない。
 
そんな経緯から、組織ではひとりで行動することが多くなる。
根っから卑劣で、ある意味で西夷に近い考えを持つジャコウと違い、悪党の仲間ではあっても、元々それなりに育ちのいい彼は、組織の中で自然に、他の連中との距離が遠くなり、浮いた存在となった。
 
とは言え、組織に属している以上、結果を出せなければ居場所はない。
鉄馬の男は、他に「咎落ち」がいるような口ぶりだったから、彼からその人間の居場所を聞き出せれば、それなりの得点にはなるだろう。気に入らない組織だが、だとしても自分には他に行く場所がない。
表情を引き締めて、目の前の土ぼこりを睨む。
 
ライデンの姿が見えないまま、カイリは動輪を加速させた。

 
 
 
突然、大きな黒い影が、ライデンの前を横切る。
 
「うわっ!」
 
曲道を旋回中だった彼は、叫びながら車体を起こし、急制動をかける。
しかし、舗装路用のタイアは悪路を捉えることが出来ず、土の上をただ虚しく滑ってゆく。ずるずると道の端まで滑り、その先に広がる林の間を抜けて、勢いよく山の斜面へ飛び出した。
 
「うわ、うわ、まて、まて!」
 
飛び出した勢いのまま、急斜面を駆け下り、目の前に迫る木々を次々とよける。首を折る勢いで襲ってくる横枝を夢中でかわし、太い幹に突き刺さりそうになるのを体重移動で車体ごと逃げ。
技術と言うより、火事場のくそ力に近い集中力を発揮して、駆け下りる。
 
奇跡的に転ばないまま、斜面を駆け下ったライデンと鉄馬。
その先に広がるのは、美しい湖だ。
静かに広がった透明な湖水へ、ひとりと一台は、まっすぐに飛びこむ。
 
ざばばばばばばっ……がぽっ!
 
激しい水音に続いて、粘液質の音が響き、鉄馬は湖底の泥にはまる。
レップウのいた山すそと違い、このあたりの山が粘土質だったのも幸いした。
湖畔には湿った泥が広がっていて、湖底は車体を優しく包み込んだ。
 
ライデンを乗せたまま、立った状態で液動が動きを止め。
 
あたりに静寂が訪れる。
 
「あーびっくりした」
 
愛機の背でつぶやくと同時に、動輪の排気音が聞こえた。
 
頭の上から聞こえてきたそれは、すぐに遠ざかり、小さくなって消える。
土ぼこりで視界が悪いため、消えたことに気づかなかったのだろう。
カイリの動輪は速度を緩めず、見えないライデンを追っていったようだ。
 
「あらら、あの男、気づかないで行っちゃったか」
 
仕方ないと言うように、鼻を鳴らして肩をすくめる。
知らない土地、知らない湖、半分がた水に浸かった鉄馬。
湖に半身を浸(ひた)しつつ、ゆっくり周りを眺めてから。
 
ため息をつくために、大きく息を吸い込んだ。
 
と、それを吐き出す前に、眼前を、一頭の鹿がゆうゆうと歩いてゆく。
先ほど目の前を横切ったのが、この鹿だと見当をつけたライデンは。
溜めていた息を吐き出しながら、盛大に文句を言った。
 
「ぶつかったら、おめぇだってケガすんだぞ? ちった考えろ!」
 
声に驚いた鹿は、キョトンとこちらへ視線を向ける。
が、どうやら「脅威ではない」と判断したようで、ライデンから興味を失った。
そのまま湖畔で水を呑みはじめた鹿を見て、「ちぇっ」っと小さく舌打ち。
 
と、肩をすくめて表情を緩める。
 
「まあ、文句を言ってても助けは来ねぇか」
 
能天気にそうつぶやくと、「よっこらしょ」と鉄馬から下りる。
それから湖底にハマった愛機を、力任せに引っ張りあげてゆく。
駆け下りた勢いは、水の抵抗で相殺され、外見的に大きな傷はない。
 
「ま、転げ落ちたわけじゃねぇからな」
 
湖岸に上がり、鉄馬の無事にほっとしたら、荷物をほどいて服を脱ぐ。
脱いだ服や荷物を湖畔に並べて乾かしつつ、あたりを見回して確認する。
落ちてきた斜面は木々に覆われ、頭上はほとんど見えない。
 
ぶるっと身震いすると、半裸のまま歩き出した。
 
「とりあえず、火ぃ焚くか」
 
下帯一丁で湖畔の森へ入ると、枯れ枝を拾い集めて湖岸へ戻る。
マキの下へ小枝や枯れ草を詰め込み、燧(ひうち)で点火。
火花が枯れ草にぽっと燃え移ったところで、ふうふうと息をかけ。
 
やがて小枝から大きな枝へと、燃え広がってゆく。
 
充分に火が熾きたところで、大きくほうと息を漏らした。
放射熱で、下帯や並べた服が、少しづつ乾いてゆく。
そこでようやく、防水布の袋から取り出した紙巻に火をつけた。
 
空に向かって細長い煙を吐き出したところで、思わず笑みが漏れる。
 
「なにやってんだ、俺?」
 
自嘲気味に笑ったときには、もう、大将のところへゆくのを諦めた。
他の連中が止めに入っているだろうし、だとしたら急ぐ意味もない。
緑色の動輪に乗った男はちょっと気になったが、すでに遥か彼方だ。
 
「さて、とりあえず鉄馬を見てやんなくちゃ」
 
湖畔に停めた愛機に近づくと、金具をカチリ動かして座鞍を外す。
座鞍の下には工具が入っているのだが、今は必要ない。
電蓄(バッテリ)が濡れてないことを確認したら、鍵を回して。
 
にー、にーっ。
 
排気制御の電動が動くことを確認してから、起動釦を押す。
きょきょきょと電動が回った、次の瞬間。
ごぼごぼと音を立てて、排気管から水が吹き出してきた。
 
「おーお、結構のんでるな。ま、排気管の場所がアレだしな」
 
車体の真下に設置された排気管から、泥水があふれ出してゆく。
起動電動はきゅるきゅると回るのだが、しかし、液動が起きる気配はない。
やがて電蓄の残量が少なくなったのだろう、電動の回りが怪しくなってきた。
 
弱々しい音を聞きながら眉根を寄せ、まずいなぁと顔をしかめていると。
 
きょっ、きょきょっ……ぐももも……きょきょっ……
 
「お、きたか」
 
もももも……ごばん!
 
ようやく液動が始動し、ライデンは愁眉(しゅうび)を開く。
そのまましばらく液動を回しつつ、水分が飛んでゆくのを待ち。
どうやら完全に回復したところで、鍵を回して液動を停止した。
 
あたりにまた、静寂が訪れる。
 
「う〜ん、このままじゃ電蓄の残量が足りないよなぁ」
 
充電するには、鉄馬を走らせなければならない。
だが、まだ服は乾いてないし、どうやら日も暮れてきた。
夜に足場の悪い湖畔を走るのは、あまり楽しい話ではない。
 
「あーも、めんどくせぇから、今日はココで寝よう」
 
いかにも風任せに生きる彼らしく。
 
ライデンはそう言い放つと、大きく伸びをした。
湖畔から優しい風が吹いてきて、焚き火の炎をゆらりと揺らす。
背嚢を手元に引き寄せると、中を探りながらつぶやいた。
 
「確か、半分くらいは残ってたはずだよな……」
 
背嚢から取り出した酒瓶の残りが、1/3切ってるのを見て。
絶望に大きく天を仰ぐと、ため息と共に煙を吐き出し。
残り少ない酒をひと口、ごくりと呑み込んだ。
 
真っ赤に溶けた太陽が、湖の向こうへゆっくりと沈んでいった。
 
 
 
かさり、と草を踏む音がした。
 
紙巻をくわえて焚き木をくべていたライデンは、音のした方を振り向く。
それと同時に右手では、傍(かたわら)に置いてあった山刀を掴んでいる。昼間の狩りで、山猪を葬った山刀だ。気配から、「危険な動物ではない」と見当はついていたが、警戒しておくに越したことはない。
ココは自分の山(領域)ではないのだ。
 
紙巻を焚き火に放り込み、山刀を構えて闇を見つめる。
すでに陽はとっぷりと暮れ、明かりは焚き火だけ。
森の中を見つめた先へ、ライデンの影が長く延びている。
 
「だれ? ここで何してる?」
 
その質問にライデンは、ナイフを離して警戒を解き、立ち上がった。
聞こえた声が、若い女のものだったからだ。もちろん、外郭世界は荒っぽい。物騒な女がいないわけではないのだが、物取りだのといった連中なら、声など掛けてこないで、いきなり襲い掛かってくる。
この質問は、不審者にかけるものである。
ならば質問者は地元の人間だろう。
 
「あー、脅かして悪い。ちょっとガケから落ちちゃってさ」
「怪我をしてるのか?」
「いや、大丈夫だ。ただ鉄馬の調子がちょっとね」
 
電蓄の残量が心配なだけで、別に壊れたわけではないのだが、煩雑に説明するよりは判りやすいだろうと思い、ライデンはそう答えた。相手が警戒しているときは、判りやすさが一番大切なのだ。
その効果もあってか、女は警戒を緩めたようだ。
ナイフを構えつつ、ゆっくりと近づいてくる。
 
「ほう、美人さんだな」
 
焚き火の明かりの中へ浮かび上がった姿に、ライデンは思わず感心する。
実際、その女は若く美しかった。
小麦色に焼けた肌、くるくると大きな瞳。長い黒髪を後ろでひっつめた、シンプルな髪形も良く似合っている。猪皮製の短い筒袴や袖のない上衣からむき出しの手足が長く、しなやかな筋肉は躍動感にあふれ。
 
「まるで雌鹿みてぇだな」
 
ライデンの言葉に、一瞬、言葉を失った女は。
胡散臭そうに彼を見つめながら、ナイフを突きつける。ナイフの扱いに慣れてはいるのだろうが、ライデンに恐怖を与えるまでには至らない。必死な様子がやけに可愛くて、彼は思わず微笑んだ。
それから表情を引き締めて、改めて自己紹介する。
 
「俺はライデン。ここより東の白鳳霊山に住んでる。そこから山ヒトツ越えた……え〜と、先生の山はなんつったっけ? まあ、とにかくその辺から、西の国境に向かってたんだが、途中で道に迷っちまって」
「それで、がけから落ちたの? 鉄馬の扱いがヘタなんだね」
「むう、そう言われると悔しいが、まあ、そのとおりだ」
 
唇を尖らせたライデンを見て、女は思わず吹き出した。
それから、ナイフを腰の帯につけた鞘へ仕舞う。
そのしぐさを見て、ライデンが思わず眉をしかめた。
 
「いや、俺が言うのもなんだけど、そんな簡単に信じちゃ危ねぇぞ? ニコニコ笑いながら襲い掛かってくるバカってのはいるし、この辺なら西夷も出るだろう? 気をつけないと長生きできねぇぞ?」
「あはは、本当に危ないヤツなら、そんなこと言わないよ」
「騙してるかもしれないだろ! いや、俺がそうだってんじゃねぇけど」
「ははは、あんた面白いね。危なくないのは何となく判るよ」
 
女は今度こそ本当に、けらけらと笑い出す。
そのまま焚き火のそばに寄ってきて、どかりと座り込んだ。
ライデンもあわてて、焚き火をはさんだ反対側に座った。
 
と、折りたたんだ綺麗な脚がまぶしくて、思わず視線をそらす。
 
「それにね、西夷には襲われたことがあるから、わかるんだ」
「な……あ……そりゃ悪いこと……」
「あははは! 大丈夫、助けてもらったから。でなきゃ……」
「……だろうな。そりゃぁツイてたな」
 
女はうなずきながら、一瞬、遠い目をする。
 
「すんごい人たちだったよ。いや、助けてくれた人がさ。怖いかって言ったら見た目とかは怖くないんだけど。あたしを襲ってきた西夷のふたり組を、一瞬で倒しちゃったんだ。なのに、全然フツーの態度で笑ってるの」
「へぇ、そりゃあ剣呑(けんのん)なヤツラだな」
「でも、あたしには優しかったよ。助けてくれて、それを恩に着せるでもなく、怖かったね? もう大丈夫だから気をつけてお帰り、なんてさ。言ってくれたでかい人は優しく笑ってた。もう一人はちょっと怖かったけど」
「優しいヤツのが、おっかねぇんだぞ?」
 
ライデンがそういって歯をむき出すと、女は爆笑する。
それですっかり打ち解けたふたりは、焚き火を前に話しこんだ。
空瓶をもちあげて、ライデンが懇願するように言う。
 
「なあ、悪いんだが、酒、持ってねぇかな?」
「なくはないけど、お父ちゃんのなんだよ。あたしは呑まないから」
「珍しい酒なのかい? ここらじゃ買えないような」
「そんなことはないけど、なんで?」
 
ライデンは申し訳なさそうに、小さな声でつぶやく。
 
「後で買って返すから、その酒、わけちゃもらえねぇかな」
「う〜ん、ま、いいか。お父ちゃんの酒、いっぱいあるし」
「うお、本当か! 助かった! いやぁどうしようかと思ってたんだよ」
「あはは、あんた本当に酒が好きなんだねぇ」
「俺の体液みたいなもんだ」
「あはは。じゃあ、ちょっと待ってな。家はすぐそこだから」
 
妙な具合に胸を張るライデンに笑いながら。
女は森の奥へ向かって歩いてゆく。
やがてその姿は、ゆらゆらゆれる焚き火の明かりの影に消えた。
 
紙巻を五本ほど灰にしたところで。
 
こちらへ向かってくる気配を感じ、ライデンは視線を移した。
そこへ女が、ニコニコ笑いながら、両手に酒瓶を持って現れる。
ところが、その後から、もうひとつの影がついて来ていた。
 
女が警戒していないところを見ると、どうやら知り合いのようだ。
 
「もしかして、『お父ちゃん』かい?」
「そう。あなたの話をしたら、ついてきちゃった」
 
女は肩をすくめて笑いながら、後ろの父親へ視線を移した。
 
むっつりと眉根を寄せたまま、父親はじろりとライデンを見る。
小柄な身体の上に丸顔がちょこんと乗った、ちょっと見た感じは人のよさそうな男だ。が、今は娘に近づいた男が気に入らないのだろう、とても機嫌が悪そうである。黙ったまま、どすりと焚き火の前に座り込む。
女は肩をすくめてライデンを見ると、苦笑しながら言った。
 
「悪いね、保護者つきになっちゃって」
「構わねぇさ、むしろその方がよかった。俺は女好きな上に、酒が入るとあんまし自制できねぇからな。ちょっかい出してぶん殴られるよりは、友好な関係をもちたい。それに……」
 
言葉を切ったライデンは、父親を見てにやりと笑う。
 
「指先がアブラで汚れてる男は、嫌いじゃねぇんだ」
 
父親の眉が、ピクリと動いた。
 
「その指の油汚れ、オヤジさんあんた機械屋だろう? 漂(ただよ)ってくるその匂いは、二行程(サイクル)液動の潤滑油……ってことは古い鉄馬が専門かい? 二行程液動を積んだ動輪ってのは、確か、ないはずだよな?」
「ないことはない。ほとんど見ることもないが」
 
ぼそり、小さくつぶやいた父親の答えを聞いて、ライデンは満足そうに笑う。
そこへ女が、苦笑しながら酒瓶を差し出した。「おぉ、助かった!」と歓声を上げた彼は、貴重品でも扱うように酒瓶を押しいただく。そして、そのままビンを掲げて見せると、父親に向かって叫んだ。
 
「んじゃ、オヤジさん! 遠慮なく!」
 
父親は一瞬、目を丸くしてライデンを見ると、苦笑しながら。
 
「好きにしやがれ」
「いや、もちろん酒代はちゃんと払うよ。酒は血の一滴、それを分けてくれたんだもんな。んじゃ、とりあえずカンパイだ! えーと……ああ、そういえばまだ、あんたらの名前を聞いてなかったな」
 
とぼけたセリフに、今度こそ、親娘そろって吹き出した。
 
 
 
 
ライデンが湖へ落っこちていた、同じころ。
レップウ、フガク、八の字先生、イズモ、ショウキ、大将の6人は。
国境を流れる川の上流にある、砦(とりで)に到着していた。
 
砦の中では防人(さきもり)たちが、西夷と対峙した緊張状態にある。
 
太陽はそろそろ、西の山の向こうへ沈みかけている。
陽光に照らされて、黒樫木で組み上げられた砦が、赤黒く浮かび上がって見えた。西夷が越境してくることの少ない場所であるため、ここに置かれた防人の数は10人にも満たない。
砦の入り口に、見張りらしき人影が立っている。
 
見張りは、近づいてくる鉄馬と動輪を見て、誰何(すいか)の声を上げた。
 
「止まれ! なにものだ!」
 
鉄馬が発する爆音に、かき消されることもなく。
見張りをしていた男の声は、あたりに厳しく響き渡る。
言葉の足りないレップウの代わりに、フガクが鉄馬を下りた。
 
「ここから北東にある、榛城(しんじょう)連山の山岳民、フガクだ。こっちはこの辺りに住む山岳民レップウと、俺の友人たち。下流で西夷らしき連中を殺したんで、その報告に来た。責任者に合わせてくれ」
 
見張りの男は、胡散臭そうにフガクを見る。
頬のこけた細身の男だが、頼りない感じはない。引き締まった身体と獰猛な瞳が、猟犬を思わせる。剃り上げているのか、それとも元々なのか、頭髪のない頭を、クセなのだろう、するりとなで上げる。
それから、少し表情を緩めて、首を横に振った。
 
「そう簡単に、カシラへ会わせるわけにはいかないね」
「俺たちは怪しいものじゃない」
「山岳民がかい? おまえら『山賊』だろ?」
「そりゃ通称だ。盗賊じゃないし、税金だって払ってる」
 
しれっと答えるフガクに、見張りの男は目を丸くする。
それから、興味深そうな様子で、全員の顔を順番に眺めた。
やがて何やらひとりで納得し、うなずきながら、また頭をするりとなでる。
 
「ふむ、いい面構えの連中だ」
「当たり前だ。クセはあるが、気持ちのいい連中だよ」
「だが、会わせるのはひとりだけだぞ」
「それでいい。とりあえず、俺が行ってくるよ」
 
後半を、振り向いて皆に告げたフガクへ、男はさらりと言った。
 
「俺の名は、シュウスイ。奥でそう告げればいい」
「それだけで、通してもらえるのかい?」
「もちろんだ。おまえなら大丈夫だと思ったから、俺が俺の名にかけて通すんだからな。もし、おまえがウチのカシラを殺しに来たのなら、おまえは真っ先に殺されて、その次に死ぬのはおまえの仲間、最後に……俺だ」
 
こんどはフガクが目を見張る。
それから表情を引き締めて、シュウスイへ右手を差し出した。
彼の男気への、感謝と敬意がこめられた右手だった。
 
それを理解したシュウスイは、破顔して手を握り返す。
 
「フガクさんって言ったね。カシラはきっと、あんたを気に入るよ」
「あはは、俺の仲間もキミを気に入ったと思うよ、シュウスイ」
 
その言葉にシュウスイが残った5人を見る。
好意的な光の宿った、10対の目に迎えられたシュウスイは。
顔をくしゃっとつぶして笑うと、肩をすくめた。
 
その様子を微笑んで見ていたフガクは、きびすを返して歩き出す。
男たちは、黙ったまま、フガクの後ろ姿を見送った。
それから振り向くと、シュウスイは山賊連中に向かって笑いながら。
 
「あんたらのアタマも、なんつーかデカいひとだね。身体だけじゃなく」
 
すると大将以外の全員が苦笑し、代表してショウキが答える。
 
「フガクさんは頭じゃなかばい。ウチの大将は、ほら、こっちやね」
「へぇ……あんたがこんなクセのある連中の……本当かい?」
 
大将を見て、疑わしそうに言うシュウスイへ、八の字先生が答えた。
 
「あはは、気持ちはわかるけど、本当だよ。もっとも、おいら達は防人(さきもり)の君らと違って、命令系統はない。何かあったら、各自が各自の判断で動くから。だからウチの大将は、神輿(みこし)みたいなもんさ」
 
「神輿だ」などと言われてもニコニコと表情を変えない大将や、それを聞いて苦笑する周りの連中を見て、シュウスイは少し驚いた顔をした。それから改めて全員を見渡し、やがて、納得したようにうなずく。
 
「なるほど、人数はいても組織じゃないんだな? 全員が大将か」
「ま、そげん感じやね。元々、ここにおるのは組織とかそういうんが苦手で、故郷をひとり飛び出してきた連中ばっかりやけん。昔のことも、生まれも育ちもどうでんよか。今の生き様だけが大事なんよ」
「へへっ、そいつはまた、気持ちのいい言葉だ」
「ばってん、あんた……シュウスイは違うようやね」
 
にやっと笑ったショウキの言葉に、一瞬、シュウスイの目が光る。
じっとショウキの顔を見てから、ゆっくり首をかしげた。
 
「どういうことだい?」
「命がけで守ろうと思えるカシラがおるんやろ? その気持ちは俺にはわからんばってん、そげんヒトに会えたんは、俺たちが自由なんと同じくらい、価値のある、幸せなこととは思う」
「……ああ、なるほど、そういう意味か。うん、確かに俺はすげぇ男と出会えたし、それは幸せなことだ。ただ、間違って欲しくないのは、俺たちが『カシラに乗っかってるだけ』ってワケじゃないことだな」
「イヌじゃないって言いたいのかな?」
 
八の字先生の言葉にうなずくと、シュウスイは言葉を継ぐ。
 
「ただのイヌじゃ、ウチのカシラは使ってくれないよ。一人ひとりが自分の役目や立ち位置を理解した……そうだな、言うとしたら、イヌは犬でも猟犬ってところか。そんな風にならないと、一緒に戦わせてもらえない」
「一緒に戦う……か。命を預ける相手だからこそ、信頼できる男でなくてはってことだね。それは、おいらたちも変らないよ。少なくともおいらは、信頼できる男じゃなきゃ、一緒に狩りなんか出来ないからね」
「みんな、信頼しあってるんですね」
 
思わず口を挟んだイズモの言葉を聞いた瞬間。
山賊連中は全員、そろって顔をしかめた。
それを見て、イズモは吹き出す。
 
「あはは、みんなライデンと同じ反応じゃないですか」
 
するとシュウスイも、ニヤリと笑った。
 
「へへへっ、面白い連中だな。傍から見りゃぁ『信頼しあった仲間同士』にしか見えないのに、ソコを誰かに指摘されると、そろって嫌がるのか。まったく、ひねくれた連中じゃねぇか、な? 若いの」
 
同意を求められて、イズモも破願しながらうなずく。
と、シュウスイは面白そうな表情で、イズモに話しかけた。
 
「で、そういうおまえさんは、この中ではちょっと浮いてるというか、なじんでないようだけど? 仲間になって日が浅いのかな? いやまあ、答えたくなきゃ構わんけど」
「そんなとこです。実は俺……」
「イズモ、そげんこと簡単に喋ってよかね?」
「って言うか、場合によってはシュウスイの立場もアレになるかもしれないし、出自を話すのは、気をつけた方がいいかもね。おいらたちは平気でも、普通は関わりたがらないだろうからさ、君の立場って」
 
ショウキと八の字先生に指摘され、はっとしたイズモは。
顔を赤くして下を向きながら、小さな声で詫びた。
すると、それを見ていたレップウが、少し声を荒げる。
 
「俺、イズモ、知らない。でも、イズモ、ライデンが連れてきた。もうトモダチ。みなで責める、よくない。ショウキ、センセイ、イズモ嫌いか?」
 
一瞬、キョトントしたあと。
ショウキはげらげらと笑い出し、センセイは困った表情で苦笑する。
そこで大将が、ニコニコしながらレップウをなだめた。
 
「レップ、みんなイズモのために言ったんだよ」
「ホントか? イズモ困ってた」
「イズモの立場は、なかなか微妙なんだ」
「そ、そうです。心配してくださって、ありがとうございます。でもレップさん、俺がウカツだったんです。みんなは、俺の失敗をフォローするために、止めてくれたんですよ」
「フォ? ふぉろうってなんだ?」
「あ、ごめんなさい。みんなが助けてくれたんです」
 
彼らは今朝、会ったばかりの連中だ。
それが自分の立場を慮(おもんぱか)ってくれたり、あるいは苛められてると思って助けてくれたり、連中のそんな気遣いにイズモは、『そんな場合じゃない』と思いながらも、喜びが隠せない。
そして、いつの間にか彼らが「イズモ」と呼び捨ててくれてることに。
同じくらいの喜びを感じていた。
ほとんど、涙が出そうだったと言ってもいい。
 
と、レップウが彼の涙目を見て、首をかしげ。
 
「イズモ、泣いてるか? やっぱり苛められてるか?」
「ち、違います! みんなが呼び捨ててくれて嬉しいんです」
「そんなことでか? 騙(だま)してないか?」
「騙すわけないじゃないですか、レップさん!」
「俺、レップウ。略すな、イズモ」
 
レップウの言葉に全員が爆笑し、イズモも思わず吹き出してしまう。
見ていたシュウスイも、事情は何となく察せられたのだろう。
笑いながら、イズモへ向かって手を差し出した。
 
「わりい、俺が変なことを聞いたみてぇだ」
「そんな、シュウスイさん。俺がウカツだったんです」
 
ガッチリと握手をしたふたりを見て、ショウキが声を上げる。
 
「よかよか、もうこの件は終わりばい」
「そうだな、ショウキさん。俺も本当は、そっちの先生ってヒトが、『いったい何の先生なのか』、とか、ショウキさんの言葉が『南のなまり』だとか、聞きてぇことはあるけど、とりあえず我慢するよ」
 
おどけた調子で、さらっと言うシュウスイに。
山賊どもは、盛大な笑い声で答えた。
その姿はまるで、十年来の友人たちのようだった。
 
 
 
シュウスイの名を出すと、驚くほど簡単に奥へ通された。
彼らはそれだけ名を大切にし、仲間を信頼しているのだろう。
感心しながら扉の前に立つと、付き添いの防人がコンコンと扉を叩く。
 
「どうぞ」
 
中から聞こえた簡潔な返答に、付き添いが扉を開いた。
砦(とりで)らしい、質実剛健な部屋の中で、金属製の机を前に。
その男は、穏やかな笑みを浮かべて座っていた。
 
大きな男だった。
 
フガクに比べれば身長はさすがに低いが、横幅は同じほどある。
恰幅のいい身体の上に載った顔は、太い眉毛が意志の強さを、強い光を放つ瞳が秘められた英知を感じさせる。一言も交わさぬ前から、只者でないことは見て取れ、フガクは気持ちを引き締めた。
 
(この男には、中途半端な嘘はつかないほうがいい)
 
瞬時に判断したフガクは、先ほどレップウと決めた「作り話」を捨てる。
なるべく感情を廃して、あった事実をそのまま、包み隠さず。
無機質とさえ言えそうな口調で話し始めた。
 
「ここより下流で、入り込んでいた西夷をふたり殺した。女の子が追われていたので事情を聞こうとすると、男たちはこちらを襲う気配を見せた。その前から様子を見てて、脅威と判断した俺の友人が、ふたりを殺した」
 
男は微笑を浮かべて黙ったまま、フガクを見つめている。
 
「彼らの遺体は、別の仲間が多少傷つけてしまった。殺した仲間が、すこし離れたところへ埋めた。おきっぱなしだと、下流に悪影響が出るから。その友人から最近、西夷が頻繁に出ると聞き、ここへ来た。以上が経緯だ」
「西夷と判断した理由は?」
 
男はフガクの話に間髪いれず質問をする。
 
「持っていた武器の種類と、彼らの言葉のなまりだ」
「なるほど。その友人はこのあたりの人なのですね?」
「そう、レップウという男だ」
「ああ、彼ですか。存じてますよ」
 
レップウの名を聞いて、男の瞳がきらりと光る。
 
「申し遅れました。この砦を任されている、防人頭(さきもりがしら)のシナノと言う者です。わざわざ報告してくれてありがとう。おかげで面倒がひとつ減りました。この砦はこれでも案外、忙しいんですよ」
 
男〜シナノの屈託ない様子に、フガクも少し気を緩めた。
そこで、ここへ来たもうひとつの理由、西夷について聞いてみる。
 
「シロートの俺が口を挟んで悪いが、ここ最近、西夷の動きが活発らしいね」
「ええ、よくご存知ですね。確か榛城連山の方と聞きましたが?」
「レップウがよく見かけるそうだ。それで、仲間とやつらがここへ来る理由を考えた結果、もしかして、この先に湧(わ)く天然の瀝青(れきせい)が狙いかとも思ったんだが」
 
シナノがあくまで礼を尽くして話すので、フガクは彼に好意を持った。
防人と言うのは国境の守(もり)だけに、荒っぽい連中が多く、場合によっては大上段から居丈高な口を利く人間も少なくはないので、シナノの穏やかで礼儀正しい態度には好感が持てたのだ。
まとめ役的な立ち位置が多いとは言え、フガクもやはり山賊。
上からものを言う人間には、反発を覚える性格だった。
 
「ほう、瀝青ですか……確かにそれもひとつの原因だと思います」
「言っちゃ悪いが、他に連中の欲しがる物がありそうもない場所だしね」
「ははは、確かに。ですがここ一連の越境事件に関しては、単純に『何かを欲しがった』だけとは思えない節もあるんですよ。もちろん、瀝青も欲しいのでしょうが、それを欲しがっているのは……」
「西夷の連中ではなく、ヤツラを指揮してる者……かな?」
 
フガクの答えに、シナノは目を見開いて、驚いた表情を見せた。
 
「なるほど、あなたはずいぶん、先が見える人のようだ」
「憶測で言ったんだけど、当たったみたいだね」
「詳しい話は、防人の法令に引っかかるので言えませんが」
「構わないよ、どうせ俺たちの出る幕じゃないだろうし」
 
頻繁に西夷が出ると聞いて、「きっと防人が怠けているんだろう」とやってきたフガクたちだったが、防人頭のシナノや彼の部下シュウスイを見れば、彼らがそんな類の連中でないことはすぐにわかる。
彼らが防ごうとして、それでも網の目を抜ける西夷がいるとしたら。
それは彼らの問題だし、このシナノという男なら、その対策もすでに取っているだろう。だとしたら自分たちシロウトが口を挟む余地はない。そう判断したフガクは、すべてをシナノに預けることにした。
 
しかし、次に発せられたシナノの言葉は、フガクの予想を超える。
 
「フガクさん、一緒に戦ってくれませんか?」
 
一瞬、ポカンと口を開けたまま、フガクは彼の顔を見つめる。
冗談を言っている風ではない。
むしろ真剣な面持ちで、シナノはフガクへ共闘を持ちかけていた。
 
「いやいや、待って! ちょっと待ってくれ」
「この砦は、本来ならあまり重要な場所ではないので、いつも人手不足なんです。それに、西夷が頻繁に出ると聞いて、すぐ瀝青に考えが及ぶ、あなたの慧眼が欲しいんですよ。私独りでは、なかなか考えがまとまらなくて」
「だからって、俺がイキナリ防人なんて」
 
驚いたフガクは、上手く言葉を返せない。
 
「大丈夫、現地での人材登用の権限だけは、わざわざ皇都まで出張って、もぎ取ってきましたから。たくさんはムリですが、それなりの給料も出ますよ? あなただけでなく、あなたの仲間にも是非」
「ムリだ。俺たちは、人の下にはつかない」
「ですから、共闘して欲しいんです。あなたとその仲間を、民間の警備会社と言うことにして、この砦がその会社の社員を雇うんです。上下ではなく、契約として、私の指揮下に入っていただけませんか?」
 
ニコニコと微笑みながら、シナノはどんどん話を進めてゆく。
フガクはすっかりキモを抜かれ、唖然とするばかりだ。
するとシナノは、さらに畳み掛けてゆく。
 
「皇都を囲む中央の国々では、まだ、危険が実感できてません。が、蛮夷と国境を接する我々辺境の人間は、充分に理解してるはずです。皇都、帝国の威光が蛮夷を押さえつけられる時代は、そろそろ終わりだと」
「…………」
「帝国では大人数での争い……いわゆる戦争と言うものを、神々が決して許しません。人道に基づいた措置ではなく、国内外すべてに於いて、自分に比肩する武力を、帝国、いや、神が望まないからです」
「神話の御世から、戦争は起こってない……はずですよね?」
 
真剣な表情で語り始めたシナノ。
フガクの言葉使いが、自然と改まる。
そんなフガクへ微妙な表情を返し、砦の主は話を次いだ。
 
「帝国国内では、少なくとも公的には起こってません。が、国境で蛮夷との戦となれば、もちろん、何度もあります。報道規制が敷かれて衆民に知らされていないだけで。実際、私も何度か経験しています」
「そうなのですか?」
「私は蛮夷と戦い、殺し、追い払ってきました。もちろん、そのことに後悔はないし、国を守る誇りはあります。遺伝子や寿命が多少違っても、血の通った人間を殺すんですからね。それがなければ、やれる仕事ではありません」
 
屈託がなかったシナノの表情に、心なしか陰が差す。
 
「だからこそ、国を守るんだという気持ちは、とても強く持っています。そのためには、中央に対して苦言を呈することもありました。まあ、そのせいで人数も重要度も少ない、ここへ飛ばされてしまったんですがね」
「あなたが辺境にいるのは、俺も変だと思いました」
「ところがここでも、重要度が低いと思われていたこんなところまでも、多くの西夷が出没するようになって来ました。当然、私は斥候や諜報を出し、向こうの状況を調べさせました。すると、興味深い情報が手に入ったんです」
 
興味深い情報?
と興味を見せたフガクへ、シナノは屈託のない微笑を浮かべて言った。
 
「ここから先は、特秘です。さっきの返事を聞かせてください」
「……俺自身は構いませんが、あなたには他にも手が必要なようだ」
「ええ、そのとおりです」
「少し時間をください。仲間と話をしてみます」
 
シナノが微笑みながら、「もちろん」とうなずき。
フガクは今の話を咀嚼しながら、部屋を後にする。
外には、先ほど案内してくれた防人が待っていた。
 
獣のような男である。 
もじゃもじゃの頭髪は、アゴから口元まで、顔の半分にみっしりと生えたヒゲとつながっている。そのせいだろう大きく見える顔が、小柄とまでは言わないが、中背と言うには少し低い背丈の上に乗っかっている。
どう贔屓目に見ても、山賊の方が似合いそうな風体だ。
男は、どんぐり眼(まなこ)をグリグリと動かしながら。
 
「話は終わったんすか?」
「いいや、これから仲間と話して、そのあともう一度、案内をお願いすることになると思う。その話の流れ如何(いかん)では、キミと一緒に働くことになるかも知れん。もしそうなったら、よろしくお願いしするよ」
 
フガクとしては、ちょっとした茶目っ気のつもりだった。
急に仲間になると聞けば、驚くだろうといった程度の。
ところが男は平然と、薄笑いさえ浮かべて笑った。
 
「やっぱり、そんなことになるだろうなと思ってました」
「な、なんでだい?」
「ウチのカシラはね、病気なんす」
「び、病気?」
「ええ、『人材が欲しい病』っす。使えそうな人間、動ける人間、これはと言う見所がある人間を見つけると、抱えたがるんすよ。敵だろうが悪党だろうが関係なく。度量が広い人なんですが、そのぶん、こっちは苦労します」
 
そう言って男は、にやりと笑った。
笑顔に吊られて、フガクも思わず苦笑してしまう。
なるほど、驚かないわけだ。
 
 
 
防人の男に連れられて外へ出たフガクは。
そこで思わず、立ち尽くしてしまう。
すると、横に立っていたヒゲの防人が、先にあきれた声を上げた。
 
「シュウスイさん、何やってんすか!」
 
シュウスイと、残された山賊たちが、砦の周りで宴会を始めていたのだ。
車座になって座った彼らは、どこから調達してきたのか、たくさんの酒瓶を抱えて、好き勝手に呑んだくれている。さすがに焚き火をしてはいないが、全員の顔が酒精に赤く染まり、歓声や放歌があがっていた。
 
フガクとヒゲの男は、お互いに顔を見合わせた。
言葉にはならないが、「どうする?」といったところだろう。
そんなふたりを尻目に、シュウスイとショウキは、お互いのアタマを指差して、ハゲだとののしり合いながら、ゲラゲラ笑っている。先生は真っ赤な顔で大笑いし、レップウの前には酒瓶の林が出来上がっていた。
そしてもちろん、大将はいびきをかいている。
 
「シュウスイさんってば! まずいっすよ!」
「あん? ああ、ゲッコウか。何やってんだおまえ?」
「こっちのセリフっすよ! なんでこんなとこで宴会やってんすか」
「なん、キサン、ヒゲば濃いくせに頭も生えとうやないか!」
 
狼狽するヒゲの男、ゲッコウに、ショウキがからむ。
そこへすっかり酔っ払ったシュウスイが、「そうだ、ゲッコウ! なんでおまえは、そんな身体中に毛が生えてるんだ! 俺とショウキさんに謝れ!」などと、わけのわからないことを叫びながら、ゲラゲラ笑って乗っかる。
 
と、そこへ唯一まともに見えるイズモが近づいてきた。
 
「フガクさん、すみません。一応、止めてはみたんですが」
「何があったんだい、イズモ」
「話をしてるうちに、シュウスイさんがみんなと意気投合しちゃいまして。そこへ大将が、『お酒あるよー!』と言い出しちゃったんです。みんな最初は止めたんですが、大将とレップウさんが呑み出しちゃって」
「そのうち、みんなガマンできなくなったのか」
 
イズモが申し訳なさそうに頭を下げる。
「君のせいじゃない」とため息をついて、フガクが肩をすくめた。
それからゲッコウを見て、「どうしよう?」と今度は口に出す。
 
「ウチのシュウスイさんも、呑(や)っちゃってますからね。文句を言えたギリじゃないですよ。とりあえず、カシラに報告してきます。あ、でも、怒られるときはみんな一緒ですからね?」
 
そう言って回れ右したヒゲのゲッコウは、そのまま固まってしまった。
 
「おや、宴会ですか」
 
にっこりと笑うシナノの姿が、そこにあったからだ。
ゲッコウと、さっきまで泥酔していたはずのシュウスイが、あわてて敬礼をする。ほかの山賊連中は、誰だ? といった表情でシナノを眺め、フガクは肩をすくめてシナノに頭を下げる。
 
「すみません、節操のない連中で」
「かまいませんよ、西夷は昨日撃退したばかりですから、さすがにすぐ攻めては来ないでしょうし。それはともかく、シュウスイ。君は勤務中のはずじゃなかったかな?」
「い、いえ、カシラ。先ほど第17刻をもちまして、休止時間に入りました」
「そうか。だが、さすがに砦の前で宴会をするのはいただけないね」
「は、申し訳ありません」
 
直立不動で答えているシュウスイをかばおうと、ショウキが口を開いた。
が、言葉を発する前に、シナノが身振りでそれを止める。
それから彼は、穏やかな笑顔を浮かべたまま言った。
 
「せっかくだから、砦の中で続きをしましょうか。ぜひ私もご相伴に預からせてください。こちらからも、少しは何か出せますよ。ああ、シュウスイ、休暇中にすまんが、大食堂の手配を」
「了解しました!」
 
喜色を浮かべて敬礼すると、シュウスイは砦の中へすっ飛んでゆく。
あっ気にとられるフガクへ、片目をつぶって見せたあと。
シナノは山賊連中へ向かって、愛嬌のある笑顔で言った。
 
「この砦の周りは田園が多いんでね。旨い酒があるんですよ」
 
とたんに歓声を上げて、砦の中へ駆け込んでゆく山賊たち。
仲間の後ろ姿を見ながら、フガクはシナノへ小さくささやいた。
 
「どうやら、彼らと一緒に、ここでお世話になることになりそうですね」
「おや、お気持ちが決まりましたか」
「もう少し迷いたかったんですが、彼らはもう、あなたに掌握されてる」
「ははは、だったらうれしい限りです」
 
ニコニコ笑って歩き出したシナノを見送りつつ。
フガクはゲッコウに向かって、肩をすくめてボヤいた。
 
「おっかない人だねぇ、シナノさんってのは」
「昔は数百人からの防人を束ねてた人っすからね」
「とりあえず、しばらくはシナノさんを手伝うことになりそうだよ」
「よろしくお願いします。で、そういうことなら早速、お願いがあるんですが」
「え? なんだい?」
 
ゲッコウは、急に情けない顔になると、声を潜めて。
 
「俺、これから当直なんす。だから、みんなとの宴会に参加できないんすよ」
「ふむふむ、それで?」
「ここの地酒は本当に旨いんです。でも、量がないからめったに呑めなくて」
 
要するに、酒を持ってきてほしいのだと、理解したフガクは。
目を丸くしてゲッコウを見たあと、こらえ切れなくなり。
すっかり日の暮れた空に向かって、高らかに笑い出した。
 
瞬(またた)き始めた星々の間に、笑い声が吸い込まれていった。
 
 
 
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